制震構造の設計や研究などの先端を走る小堀鐸二研究所。この会社の前身は、鹿島の社内に小堀鐸二氏が設立した小堀研究室だった。小堀氏が長年にわたり研究を続けていた制震構造を実現させるべく発足。実際に何棟も生み出し、2007年に小堀氏が亡くなった後も、制震構造の第一線にいる組織だ。制震構造の源流を探るべく、小堀鐸二研究所の小鹿紀英副所長と、鹿島構造設計統括・先進技術グループの栗野治彦統括グループリーダー(以前は小堀研究室に所属)に話を聞いた。(全3回のうちの第1回。日経アーキテクチュアでは通常「制振」と表記しているが、今回の記事では小堀鐸二研究所の考え方を表すものとして「制震」とした)
1985年、京都大学名誉教授だった小堀鐸二氏は、鹿島に招かれ、小堀研究室を設立。制震構造の建築を次々と生み出していく。
鹿島には、かつて副社長として、「超高層建築の生みの親」ともいわれる武藤清先生がいました。東京大学を退官(1963年)した後に就任され、霞が関ビル(1968年)を実現させるなど、会社に大きく貢献されていたんです。その後、武藤先生が退職されてから、会社の新たな「差別化技術」が欲しいということで、すでに制震構造の理論の第一人者だった小堀先生に白羽の矢が立ったわけです。
そのような経緯で1985年、武藤先生の後継者として鹿島にいらした小堀先生が、会社内に設立されたのが小堀研究室(以下、小堀研)です。最初は社内各部署からのメンバー11人でしたが、1年後に武藤研究室の30人ほどが移ったので、40数人の組織としてスタートを切りました。
小堀先生個人は、1950~60年代にかけて制震の理論にずっと取り組まれていましたが、当時の技術では、それを実現するまでには至っていません。小堀研ができてから、ようやく技術が追いついたということで、実現に向けた高い士気を持たれていたんですね。