全3066文字
PR
[画像のクリックで拡大表示]

 「紀の国屋」が2022年5月に廃業しました。東京都武蔵村山市に本店を構えていた和菓子店です。私は京都在住ですがこの店の和菓子が好きで、東京に行くたびに「あわ大福」と「相国最中(しょうこくもなか)」を買って帰っていました。大好きだった和菓子がもう食べられないと思うのは悲しいことです。

 この紀の国屋の廃業について、背景に何があったのかを考えてみました。廃業の知らせには理由らしいものが見当たりませんが、筆者にはピンとくるものがありました。私が通った十数年間、この店が値上げしたという記憶がほぼありません。

 この店は安価な上に、あまり値上げをしていなかったのです。あわ大福は添加物が入っておらず、賞味期限は1日です。粟(あわ)をついて餅を作り、手作業で餡(あん)を包んでいたのだろうと想像します。餡の風味も豊かでした。要するに原価がかかっていた。それなのに170円で販売していたのを、180円に値上げした程度です。京都で同じような大福を買うと250円ほどします。

 10円の値上げは2020年3月に行われていますが、わずかですし、世間的に値上げラッシュだった2021年以降も紀の国屋は値上げしなかったと記憶しています。その間、京都の和菓子店は値上げをしています。

 私を含めて多くの顧客が抱いていたイメージは、「良心的」とか「おいしいのに安価」といったものだったと思います。しかし、同時に「大丈夫だろうか」と感じた顧客もいたはずです。他店は値上げしているのを知っているし、紀の国屋が良い原材料を使っているのは味から分かるからです。

 つまり、原材料費が高いのにそれ相応の値上げをしなかったために、紀の国屋は収益を圧迫されたのだと推察されます。なぜ適度な値上げを実施しなかったのか。ファンとして悔やまれます。良心的な経営があだとなったという見方もできそうです。

 では、それらを踏まえて今回のコラムの本題に入りましょう。紀の国屋の経営は、日本の大企業にも共通するものがあると私は思います。「良心的」であることで自分が苦しむ、という構造です。

「顧客の言いなり」になっていないか

 「良心的」であり続けようとすることで自分(自社)が苦しくなるというのは、ビジネスではよくあることです。和菓子店でいえば、仕入れ価格が常に変動する中で、消費者向けには固定価格を提示しようとします。加えて、競合店との競争もあり、低価格で売る圧力がかかって価格を上げにくいと考えるのです。

 大企業も同様です。原材料費が上がっても、商品の価格は容易には上げられない。顧客は常に「価格を安くしろ」と言ってくる。事業部(営業部)は顧客に言われて割引価格を提示し、それを研究開発部(以下、R&D)に伝えて、技術者がそれに従うという構造になります。図にすると次のようになります。顧客要望対応が減益を招くことは以前のコラムでも書いたのですが、今回書きたいのはこの構造の話です。

(作成:筆者)
(作成:筆者)
[画像のクリックで拡大表示]

 これは「顧客が上、技術者は下」という構造になっており、望ましいものではありません。事業部は売り上げを高めるのが役割:ひどい場合は値下げしてでも受注する⇒R&Dマネジャーは事業部の要求に応えるのが役割:無理な受注でも意向を聞かざるを得ない⇒技術者はR&Dマネジャーの指示に従う……。こうして会社全体が疲弊していくのです。

 これは、要するに「顧客の言いなり」の構造です。下の構造に位置する人には「ノー」と言う権利がないからです。その分、当然ながら得られる収入は少なくなります。顧客に良い顔をして自分(自社)は苦しいというわけです。