
ホンダを代表するコンパクトカー「フィット」。その歴史は2001年の初代フィットから始まった。初代フィットは「2001-2002日本カー・オブ・ザ・イヤー」と「2002RJCカー・オブ・ザ・イヤー」をダブルで受賞。車体の細部にまでこだわって開発を続けた結果、発売から10日で約2万3000台も受注するヒット車種となった。ヒットの理由は、妥協なく最高のものづくりを目指したこと。最後の最後までがむしゃらに突き進んだフィット開発陣の姿を描く連載を通して、今開発現場で走り続ける技術者たちに声援を送る。
ホンダを代表するコンパクトカー「フィット」。その歴史は2001年の初代フィットから始まった。初代フィットは「2001-2002日本カー・オブ・ザ・イヤー」と「2002RJCカー・オブ・ザ・イヤー」をダブルで受賞。車体の細部にまでこだわって開発を続けた結果、発売から10日で約2万3000台も受注するヒット車種となった。ヒットの理由は、妥協なく最高のものづくりを目指したこと。最後の最後までがむしゃらに突き進んだフィット開発陣の姿を描く連載を通して、今開発現場で走り続ける技術者たちに声援を送る。
出典:日経メカニカル 開発の軌跡「ホンダのフィット」
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最終回 特徴は「無敵です」
「馬力を上げろ」「もっと燃費も上げろ」。度重なる要求に最善を尽くすエンジンの開発部隊。しかし、思うように性能が出ない。残るは奥の手、エンジンの燃焼室やポートの形状を手でいじっていく。後は設計部隊との戦い。「こんなもんできん」「できなきゃ困る」。最後は脅しに近い要求を通し、やっとのことで目標を達成し…
第4回 社長の無茶振り
二転三転の後、何とか完成した5ドアのデザイン。販売店向けの内覧会にこのモックアップを持ち込む。その評価は上々。確かな手応えをつかんだ松本らは、夜の街に繰り出す。だが同じ夜、彼らを震撼させる、ある決定がなされようとしていた。
第3回 3ドアデザインの呪縛
日本案と欧州案の間で繰り広げられた3ドアモデルのデザインコンペ。3回にも及ぶ死闘の末、日本案に軍配が上がる。あとは作るだけ。いざ走り出そうとした矢先、突然3ドアモデルの開発中止が告げられる。主戦場となる欧州市場で、3ドアに代わり5ドアモデルが売れ始めてきたのだ。
第2回 デザインコンペ、日本vs.欧州
フロントシートの下に空間を見つけたフィットの開発チーム。燃料タンクをセンターレイアウトとし、多彩なシートアレンジを可能にするアイデアを思いつ付く。これを目玉とし、自信満々で社内評価会に臨んだ面々。だが、彼らに浴びせられたのは「こんなひどいチーム、見たことない」という叱責(しっせき)の声だった。
第1回 「ロゴ」は大嫌い
「2001-2002日本カー・オブ・ザ・イヤー」と「2002RJCカー・オブ・ザ・イヤー」をダブル受賞したフィット。発売以来5カ月で販売台数は約8万7000台、2001年11月の月間販売台数はトヨタ自動車の「カローラ」を抜いて1位に躍り出た。いまをさかのぼること4年あまり、その開発劇は、ある一言で…