「イシイのおべんとクン ミートボール」で知られる老舗食品メーカーを創業家社長として率いる石井智康氏。アジャイル開発に取り組んだ元ITエンジニアの経験を生かし、矢継ぎ早に改革を打ち出した。ECなどのIT基盤も強化し、コロナ禍で落ち込んだ需要の取り込みや新事業領域の開拓を目指す。
(聞き手は浅川 直輝=日経コンピュータ編集長、玉置 亮太=日経クロステック/日経コンピュータ)
米国の大学で文系を専攻した後、エンジニアとしてIT業界に入る決断をした経緯は。
最初とにかく家業を継ぎたくなかったんですよ。1人で生きていくと決めていたので、何か手に職を持ちたいと考えた結果です。職人やクリエーターといった何かをつくる人になりたいという思いがありました。
機械系のエンジニアは専門の学科を出てないと難しいですが、ソフトウエアエンジニアには門戸が開かれていた。ご存じの通り、米国と違って日本では文系専攻の学生をソフトウエア業界が採用するケースは珍しくありませんので。米国の大学在学中にC++を使い始めたのが、本格的なプログラミングの始まりでした。
帰国後にアクセンチュアに入社し、その後フリーランスとしてITエンジニアを数年続けた後に、家業の石井食品に入社して社長を継ぎました。最初は家業を継ぎたくないとのことでしたが、何か心境の変化があったのでしょうか。
アジャイル型のシステム開発を受託するフリーランスとして3年以上やって、それなりに自分でお金を稼げる自信が付きました。少なくともあと10年はやっていけるのではないかと。
そのときに、何ていうんですかね、継ぎたくないという思いから初めて解放されたというか。
解放された、とは?
そもそも石井食品にお世話になりたくなかったのは、「どうせあなたは家業を継げるからいいよね」と思春期時代からずっと言われ続けていて、逆に絶対世話になるものかと思っていたからです。それがフリーランスのエンジニアとしてキャリアを重ねて、自分でも食べていけると思えたときに、ある程度フラットに考えられるようになりました。