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 差別はすべての人にとって大きな問題であり、我々のようにメディアで働く人間にとっては特に重大な問題になっている。メディアのコンテンツは多くの人が目にするため、特定の人を傷つけてしまう危険性が高くなるからだ。日経BP社内でも、人権や差別に関する研修はよく行われる。

 メディアでの差別と聞くと「差別用語のリスト」を思い浮かべる人もいるかもしれない。しかし差別は、特定の言葉さえ使わなければなくなるような簡単な問題ではない。あからさまな差別用語を使うのは論外だが、そうした用語を使っていなくても文脈で差別表現になってしまうことはある。差別は特定の人や集団をおとしめたり排除したりすることだからだ。

 もっとも、ある表現が差別かどうかを判断するのは実はそれほど簡単ではない。書いている記事の内容が批判なのか差別なのかに悩むこともある。「差別が悪いと主張するのは、差別している人を差別しているのではないか」といった不毛な議論に通じるものだ。個人的には「これは明らかに差別で、これは明らかに差別ではない」といった単純な割り切りは思考停止や価値の押しつけであり、かえって差別を助長するのではないかと疑っている。

 差別は基本的には人と人との関係から生まれる。なので、客観的な事実に基づく科学技術分野には差別は少ないと思っていた。とはいえ科学技術を担っているのは人であり、差別の構図が生まれることはある。最近、そんな経験をした。

 専門家のアドバイスを受けながらある記事を執筆しているときに、特定の表現が問題になった。「組み合わせ最適化」という表現だ。複数の専門家から「組合せ最適化」に直すよう指摘された。

 不思議な話である。現在の送り仮名の規則からすれば「組合せ」という表記は誤りだ。小学生が国語のテストでこう書くとバツになるだろう。そこでWikipedia日本語版で確認したところ、たしかに項目としては「組合せ最適化」になっていたが、「組み合わせ最適化、または組み合せ最適化とも表記される」と記述されている。日本語としては「組み合わせ最適化」と正しい送り仮名で書いても問題ないようだ。

 しかし、数理最適化の専門家は決して「組み合わせ最適化」とは書かず、必ず「組合せ最適化」と書くという。「組合せ最適化」や「組合せ数学」は固有の専門用語になっており、それ以外の場合は普通に「組み合わせ」と表記するそうだ。

 ある専門家からは「そこが誤っていると、それだけで読むのをやめるレベル」と指摘された。また別の専門家によると、学会が出版する機関誌では校正で必ず「組合せ最適化」に直されるという。「組み合わせ最適化」という表記のタイトルで書籍を出版すると売り上げが半減するのは誇張ではなく、この表記の違いが専門家と非専門家を識別するフィルターとして機能しているとのことだ。