先日、尊敬するコラムニストの1人である小田嶋隆氏が亡くなった。同氏が日経ビジネス電子版に連載していた「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 ~世間に転がる意味不明」は、個人的に毎週楽しみに読んでいた。
リアルでは対談イベントで遠くから拝見したことがあるだけで面識はない。一方的にファンだっただけだ。小田嶋氏はたまに不用意な表現で炎上することはあったが、「どうしてこんなに切れ味の鋭いコラムを書けるのだろう」といつも不思議に思っていた。私も隔週でコラムを書いているが、「足元にも及ばない」とはまさにこのことだ。
小田嶋氏の訃報に接し、同氏の昔の文章も読んでみたくなった。そこで、「人はなぜ学歴にこだわるのか。」という文庫本をネットで購入してみた。ぼろぼろの古本で、本の値段よりも送料のほうが高かった。文章はとても読みやすく、半日ほどで読んでしまった。
同氏は「学歴は、怪物だ」と本書のあと書きで語っている。学歴に斬り込もうとしたが、歯切れの悪い内容になってしまったのだという。おそらく、執筆する前からそうなることはわかっていたのだろうが、それでも書かずにおれないくらい学歴は同氏にとって切実な問題だったのだろう。
小田嶋氏がこの本で指摘しているように、学歴は2面性を持つ。
「学歴にこだわるのはみっともない」と思っている人は多いだろう。社会でどれだけ活躍できるかどうかは、ほぼ100%本人の努力と実力による。どんな大学を出たかが仕事の成果を左右するケースはほとんどない。社会人になってまで学歴自慢をするような人間は無能と相場が決まっている。
では学歴は不要なのか。みんな内心ではそんなことは思っていない。むしろ少しでもいい学歴が欲しいと思っているはずだ。
大学を出た人なら、自分が受験する大学を選ぶときに何を考えていたか思い出してほしい。大学名を人に自慢できるような大学、人にばかにされないような大学に行きたいと思ったのではないだろうか。少なくとも自分はそうだ。18歳やそこらの未熟な時期には、まだたいした考えはなかった気がする。
大学ブランドで就活生をふるいにかける
正直にいうと、この本を読み終わったときにまず感じたのは、「学歴」という言葉に対する何やらすわりの悪い思いだった。別に小田嶋氏が学歴という言葉を、通常とは異なる特別な意味で使っていたわけではない。世間で一般的に使われている意味で使っていただけだ。
私は普通に使われている「学歴」という言葉に強烈な違和感を覚えたのだ。「これは本当に学歴なのか」と。
そこでWikipedia日本語版の「学歴」の項を確認してみた。広辞苑第五版には、学歴は「個人の学業上の経歴を表す用語」と書いてあるという。いわば自分が学問を修めてきた歴史といったところだろうか。