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 私が初めてコンピューターを見たのはたしか小学校の低学年のときだったと思う。まだ家庭用ゲーム機が生まれるか生まれないかくらいのころだ。デパートの入り口でゲームのデモをしていた。その時代はまだ今のようなパソコンは存在していなかったので、使っていたのはおそらくオフィス用の小型コンピューター、いわゆる「オフコン」だろう。白黒のテレビ画面でグラフィックスが動くのを初めて見たのは強烈な体験だった。

 中学生のときには、コンピューターに触ったことがないにもかかわらず、本で読んでプログラミング言語「BASIC」の文法を知っていた。ループや条件分岐の概念は理解していたと思う。

 高校に入ると、電器店の店頭に展示してあったパソコンにずっとかじりついていたし、それを見かねた両親がそれなりに高価だったパソコンを買ってくれた。プログラミングは下手だったが、自分なりにゲームを自作して遊んでいたりした。

 となれば、大学は当然、工学部の情報工学科か、せめて電子工学科に進学すべきだっただろう。ところが私が選んだのは理学部だ。何かそちらのほうがかっこいいと思ってしまったのだ。「大学は学問を学ぶところで、技術は学問ではない」と思っていたような気もする。浅はかなことだ。

 私が大学で専攻したのは分子生物学である。エキサイティングな分野であり、選んだこと自体は後悔していない。ただ、私自身はとても不真面目な学生だった。「クエン酸回路(TCA回路)も暗記していない」といえば、生物学を知っている人ならどれだけダメな学生かわかるだろう。

 日経BPに入社直後はバイオ系のメディアに配属されたものの、パソコンばかりいじっているということでIT系メディアに移され、今に至っている。結局、コンピューターサイエンスの基礎は、社会人になってかなりたってから学ぶはめになってしまった。

 今でも、自分の工学系の知識には「抜け」があることを痛感することが多い。「工学部に行ってきちんと基礎を固めておけばよかった」と後悔している。私の人生は常にコンピューターと共にあったのに、なぜか大学の専攻だけが違う。

 もっとも、こうした後悔は理系ならではのような気もする。文系学部出身で「学生時代にこういうことを学んでおけばよかった」という人はあまり見たことがない。強いていうなら英語くらいか。

 「大学で学んだことを重視しない」という日本社会のありようは、マイナスばかりではない。海外のように学校の選択で将来の職業が事実上決まるような社会は、それはそれで不自由だ。誰にどんな適性があるかわからないのだから、日本のようなフレキシブルなやり方もありだとは思う。

 にしても、日本では学問が軽視されすぎている。政治家が「三角関数は要らない」「微積分は要らない」と言うのは、さすがにもう聞き飽きた。学問を軽視する土壌から最新技術など生まれるわけがない。

 大学ブランド信仰は、いわば「中身ではなくラベルを評価する考え方」だ。日本は長らく右肩下がりの時代を経験し、ラベルよりも中身を重視する方向にゆっくりと社会が変わりつつあると感じている。

 大学ブランド信仰も、今後長い時間をかけて解体されていくのだろう。どこを出たかではなく、何を学んだかが問われるようになる。それが日本の技術力復活にいい影響を与えることになればと思っている。