全6545文字
PR

エディー氏入院で最大のピンチ

神武 日本代表は2015年のワールドカップまで、同大会で21年間勝利がありませんでした。チームとして、どこまでやったら勝てるというのが見えない中で、どうやってチームを作っていったのですか。

廣瀬 (2015年大会で3勝できた背景には)ベンチマークをきっちりやったことが1つあると思います。例えば、ラグビーではGPS(全地球測位システム)を内蔵したデバイスを練習や試合で背中の部分に着けてプレーできるのですが、それによって1試合の走行距離とか、加速回数などが分かります。そうした数値を世界の強豪国と比較し、トレーニングを通じて少しずつ近づいていることなどがファクトとして見れたのが大きかったと思います。

 前田さんが「訓練が一番大変だった」とおっしゃっていましたが、私たちも練習が一番きつかったです。本当に試合の方が楽でした。2012年から試合をするごとに、それを実感できました。我々は試合中、生き生きとしているのに、相手はどんどんへばってきているな、ということが感じ取れたので自信を持って戦えました。

 あと、言葉がすごく大事だと実感しました。エディーさんは、チームのコンセプトとして「ジャパン・ウェイ」を掲げました。我々が考えていた日本人らしさ、長所を可視化したんです。例えば、これまでラグビーでは体が大きい方が絶対に有利だと考えられてきました。確かに日本の選手は海外の選手と比べると背が小さく足も短い。でも、タックルされて転倒した場合、足が短い分、転がされてから起き上がるまでの時間は早い。だから、すぐにまたプレーに参加できる。

 つまり、ポジティブな部分もしっかりあるということを、初めてきちんと見せられたんです。今までは相手の強いところばかりが大きなイメージで伝わってきて、実際に勝てないところを見ていたんですけれど、我々の方がいい部分があることを認識できたのは大きかったです。

 「ジャパン・ウェイ」という方向性に統一されたので、後はハードワークするだけでした。

神武 チーム作りの中でピンチもあったかと思います。一番ピンチだったのはどんな時でしたか。

廣瀬 実際は、毎日がピンチの連続でした(笑)。でも、最大のピンチは、2013年秋にエディーさんが脳梗塞で倒れたときです。ちょうど、世界最強のオールブラックス(ニュージーランド代表)との対戦が決まっていて、試合の日は入院していて指揮ができなくなったんです。

 それまでの意思決定はかなりトップダウンでした。そのトップがいなくなったので、組織としては結構迷いましたし、練習中でも何が正しいか分からない状態になりました。もちろん、GPSデバイスを着けて練習をしているのでデータは出ますが、本当にこれでいいのか、心のよりどころがなくなったのですごく悩みました。その不安の中で1週間を過ごしてオールブラックスと戦ったので、あのときはきつかったです(2013年11月2日、オールブラックスが54対6で勝利)。

 でも、あのとき学んだのは、最後の最後に、誰かに頼っていたらダメだということです。我々はもっと自立して、最後は決断しなければいけないという考えが、そこで培われたと思っています。

 それもあって、もしかしたらエディーさんは、私をキャプテンから外したのかもしれないです。私の立ち位置は、何かベースを作るじゃないですけれども、皆と一緒になって守破離(しゅはり)の「守」の部分にあります。

 エディーさんはおそらく、それだとワールドカップで勝つには至らないと感じて、リーチ選手をキャプテンにしたんだと思います。彼はフィジー人とニュージーランド人のハーフなんです。高校は北海道の札幌山の手高校で東海大学に進学しました。このようにバックボーンは柔軟で、日本のラグビー界にとってパイオニアみたいな人なので、彼にキャプテンを代えることによって、何かチームに変革をもたらしたかったのだと思います。まさに「破」です。

 本番となる4年目のチームのキーワードは「主体性」でしたが、それはまさにエディーさんから「離れる」ことでした。2年目に彼が倒れたのはピンチでもあったんですが、チームが変わるきっかけになりました。

神武 ある意味、それが後々の南アフリカ代表戦での勝利など、着実な成果につながっていったのかもしれませんね。

前田 我々にも似たような話があります。こうのとりを最初に設計・製造した人たちは、もちろんこの宇宙船のことをとてもよく知っていました。そういう人たちがフライトディレクタとして初号機、2号機を運用して成功させました。

 でも、JAXAも会社組織で人事異動があるので、初号機からずっと運用を指揮していた人が異動になったことがあります。ちょうど私は4号機のFCTを統括する「リードフライトディレクタ」に就任したタイミングです。

 だから彼がいない状態で飛ばすのは、そのときが初めてで、正直、どうしようかと思いました。それまでは、自分がいろいろと決めていたつもりだったのに、実際には人に頼って「決めているつもり」だったことを実感しました。

「こうのとり」6号機 ミッション完了記者会見を行う前田HTV6リードフライトディレクタ
「こうのとり」6号機 ミッション完了記者会見を行う前田HTV6リードフライトディレクタ
(写真:JAXA)
[画像のクリックで拡大表示]

 本番のフライトの運用では、彼はずっと後ろにいてくれたんですけれど、ほとんど口を出すことはありませんでした。この運用を通じて自分自身は技術的にも成長したし、チーム全体が1段レベルアップした感がありました。彼は、星出さんの同期で、こうのとりの初代フライトディレクタの山中浩二さんという人です。我々にとっては「神」のような存在です。(次回に続く)

前田真紀(まえだ・まき)
前田真紀(まえだ・まき) JAXA 有人宇宙技術部門 新型宇宙ステーション補給機プロジェクトチーム HTVフライトディレクタ。1995年日本女子大学家政学部卒業、同年宇宙開発事業団(当時:現JAXA)入社。追跡管制部にて8年間、人工衛星の追跡管制・軌道計算に関する業務を担当。その後、2005年からHTV(こうのとり)の運用準備業務に従事、HTVの運用管制の仕組みをゼロから構築する業務に携わり、このとき構築した仕組みは、現在のHTV運用の基礎となっている。2009年に打ち上げたHTV技術実証機では、運用計画担当としてHTVの飛行計画立案を担当した。2010年9月に5人目のHTVフライトディレクタとして認定され、HTV 2号機からはフライトディレクタとして運用管制業務に当たる。2013年8月に打ち上げられたHTV4号機ならびに2016年12月に打ち上げられたHTV6号機において2度目のリードフライトディレクタとしてミッション全体をとりまとめた。
廣瀬俊朗(ひろせ・としあき)
廣瀬俊朗(ひろせ・としあき) ラグビーワールドカップ2019アンバサダー。現在、アンバサダー活動や自分自身の社会貢献活動を通じて、スポーツ普及と教育に重点的に取り組んでいる。1981年、大阪府吹田市出身。5歳からラグビーを始める。1997年に大阪府立北野高校、2000年に慶應義塾大学理工学部入学。2004年に東芝ブレイブルーパス入団。各チームだけでなく、高校日本代表や日本代表(2012~2013年)でも主将を務める。代表キャップ数(日本代表として試合に出た数)は28。2015年のラグビーワールドカップイングランド大会メンバーとして、南アフリカ戦など歴史的な勝利を収める。2016年に現役引退。2017年から東芝ブレイブルーパスコーチを2年間務める。現在、上記のほか、一般社団法人・慶應ラグビー倶楽部 理事、株式会社HiRAKU 代表取締役、スポーツボランティア協会代表理事、NPO Doooooooo理事、一般社団法人 ・キャプテン塾 代表理事を務める。
神武 直彦(こうたけ・なおひこ)
神武 直彦(こうたけ・なおひこ) 慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科 教授。慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程修了。同政策・メディア研究科博士課程修了。宇宙開発事業団入社。H-II、H-IIAロケットの研究開発と打ち上げ、人工衛星および国際宇宙ステーション搭載ソフトウエア独立検証に従事。欧州宇宙機関研究員、宇宙航空研究開発機構主任開発員を経て、2009年より慶應義塾大学准教授。日本スポーツ振興センターハイパフォーマンス戦略部アドバイザーなどを歴任。現在、Multi-GNSS Asia Steering Committee Member、ロケーションビジネスジャパン実行委員長。アジア工科大学大学院招聘教授。博士(政策・メディア)