近年、試合中やトレーニング時に様々なデバイスを用いてアスリートのパフォーマンスを可視化する取り組みは、スポーツ界においては“常識”となっている。可視化したデータを基にしたトレーニングや戦術構築はパフォーマンスの向上を導くが、それだけでは十分ではない。解明を進めるべき未開の領域がまだある。「脳」「栄養」「睡眠」だ。
日経BPが開催したカンファレンス「SPORTS Tech&Biz Conference」(開催は2019年3月20日)には、これらの分野の研究・開発を推進するリーダーたちが登壇した。アスリートのパフォーマンスを向上し得る“次のフロンティア“”と言える3領域でどのような取り組みがなされているのか。パネルディスカッションの要旨をレポートする。
一流と二流を分けるポイントは「脳」
最初に登壇した柏野牧夫氏は、日本電信電話(NTT)のNTTコミュニケーション科学基礎研究所で「脳とスポーツ」の関係性について研究をしている人物だ。柏野氏は「一流のアスリートと二流のアスリートを分けるのは脳ではないか」と話す。
「一流と言われるアスリートよりもフィジカル面で勝るアスリートは多くいます。それでもすべてのアスリートが一流にはなれません。その差を分けるのは、例えば相手の挙動を予測する能力や、相手の予測を外す能力、大舞台でも取り乱さず心身の状態を整理する能力などです」(柏野氏)
つまり柏野氏は、脳こそがアスリートの一流と二流を分けていると言う。その詳細を解明するために氏が所属するNTTは2017年1月に、脳科学の進歩と、それによってアスリートのパフォーマンス向上を目指す「スポーツ脳科学プロジェクト」を発足。ソフトボール女子日本代表をはじめ、複数のスポーツチームと連携して研究を進めている。
具体的には基礎的な実験やVR(仮想現実)を用いた計測に加え、アスリートの身体の動きなどを計測できる「スマートブルペン」という施設での実験、データ収集を目的とした実験用試合などを通じて脳に関する情報を集めている。そこで鍵となるのが「潜在脳機能」である。「無自覚的な脳の情報処理」を意味する造語だが、なぜこの言葉が重要なのか。
「例えばボクシングでも野球でも、0.5秒以内にコトが起こります。それくらいの一瞬の間に色々な動きがありますが、アスリート本人はそれを自覚できていません。その無自覚的な部分が“潜在脳機能”であり、それを解明することこそが勝負の鍵を握っていると考えています」(柏野氏)
潜在脳機能はウエアラブルセンサーやカメラを用いて定量的に観測すると同時に、心拍数や眼球の動きなどのデータも収集して計測するという。ただ、そうして読み取った潜在脳機能に関する情報を、そのままアスリートに伝えればいいというわけではない。むしろ、無自覚を自覚させることは危険性もはらんでいると柏野氏は指摘する。
「アスリートに対して“一流選手の動きはこういう特徴がある”と伝えるのは可能ですが、我々はそれはやっていません。一流アスリートでも“なぜ自分がその動きをうまくできているか”を説明できないことも多く、むしろ自分でも説明できないような人ほど一流であったりします。そうした状況で、もともとできていない選手に対してデータだけを渡しても、できるようになるどころか、逆にパフォーマンスを下げてしまいかねないのです」(同氏)
「ただ、潜在脳機能を計測していくと、野球のバッターで言えば“判断は良いがスイング速度が遅い”、“スイング速度は速いが判断が悪い”というようなタイプ分けがより客観的にできるようになります。そのような情報があれば指導者とのミスマッチを防げますし、指導者側もその情報を基にトレーニングやアドバイスの内容を考えられるようになっていきます。つまり、データに対するリテラシーを持ち、自分なりにデータを解釈した上でアスリートを上手に導ける人が名指導者と呼ばれるようになるでしょう」(同氏)
脳の解析はアスリートだけではなく、指導者の向上にも貢献するのだ。