2014年11月に国際バスケットボール連盟(FIBA)から国際資格停止の制裁を受けたことに端を発し、抜本的な改革を実行してきた日本バスケットボール協会(JBA)。当初、その旗を振ったのは川淵三郎氏(現・日本トップリーグ連携機構会長)だが、川淵氏の後を継いだ3人が実質的に協会を三位一体の体制で運営してきたことが、現在のバスケットボール界発展の端緒になっている。その3人とは、JBA会長に就任した三屋裕子氏と、B.LEAGUEチェアマンでJBA副会長の大河正明氏、JBA事務総長の田中道博氏である。
1984年のロサンゼルス五輪の女子バレーボールで銅メダルを獲得した三屋氏をはじめ、バスケットボール界出身でない3人は、どのようにして協会のガバナンスを取り戻し、これからの日本バスケットボール界をどのように進化させようとしているのだろうか。3人を代表して三屋氏へのインタビューを前後編でお届けする。(聞き手:上野直彦=スポーツジャーナリスト、久我智也)
今は選択と集中の時期
Bリーグは年々成長を続け、日本代表チームも21年ぶりの自力でのワールドカップ出場を果たしました。さらに来年には東京オリンピックが開催され、これまでになくバスケットボールが注目を浴びるチャンスを迎えています。この好機に対して、JBAはどのような戦略を練っているのでしょうか。
三屋 現在は「選択と集中」のタイミングだと捉え、組織の変革を実行しています。例えば、今年からJBAとBリーグの広報・PR部門を統合しました。そもそも代表をはじめとしたJBA管轄の大会などとBリーグは別物ではありません。同じ広報チームの手で戦略的にプロモーションをしていった方がメディアも扱いやすくなるでしょうし、無理にお金を使わずともある程度は広がっていくだろうと考えていたので、こうした形を取ることにしました。
新しい広報チームは、JBAでもBリーグでもなく、両者が設立したB.MARKETING(ビーマーケティング)という会社に所属しています。同社は広報だけではなくコンテンツビジネス全般を手掛ける会社で、Bリーグや日本代表など、我々が持つコンテンツに付加価値をつけて強化や普及のための資金を獲得する役割を担っています。
JBAは公益財団法人ですから、積極的に“稼ぐ”ことが目的になりにくいし、男子日本代表の多くがB.LEAGUEの選手だからこそ、権益面からもJBAとB.LEAGUEの関係性を担保していかなければなりません。バスケットボールが競技として健全な発展を遂げていくためにも必要な組織なのです。
同社を設立したのは2016年のことで、ここまでは種まきのフェーズでしたが、今年になってからようやく力を発揮できるようになってきたので、今後はこの会社を中心にコンテンツ価値を上げていきたいと思っています。
ここまでは種まきのフェーズということですが、B.MARKETINGはこれまでどのような種をまいてきたのでしょうか。
三屋 例えば今年、ワシントン・ウィザーズに1巡目指名された八村塁選手がゴンザガ大学2年生の頃に、彼の名前を広めるためのメディアツアーを実施しました。当時の八村選手は大学でレギュラーの座をつかんでいたわけではなく、日本における知名度もさほど高くありませんでした。将来を見据えて彼の名前を売り出していこうという狙いからでした。
その後の彼は期待通りの活躍を見せてくれ、見事にNBAのドラフトでも指名をされ、今では多くのメディアが取り上げる選手になりました。我々としても、いい形でプロデュースができたのかなと感じています。