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 特許にさほど詳しくない人間には“金科玉条”のような響きを持つ「標準必須特許(SEP)」という特許がある。

 新しい技術が発明され、その発明が広く市場に受け入れられるためには、規格の標準化が必要となる。例えば、無線通信における通信プロトコルなどのようにだ。そして、特に新しい技術分野においては、国際的な標準化のニーズが生まれる。その標準を実現するために必要不可欠な特許が存在する。それがSEPである。

 特許権者としては自社の収益を極大化すべく、ライセンス料の水準設定やライセンス供与先の選定を自由に行いたいところだ。一方で、特許権者がライセンス料率の引き下げやライセンス供与先の拡大を行わなければ市場は拡大しない。そのため、業界として利害を調整する必要が生じる。業界や特許を多く持つ企業などはパテントプールを形成し、ライセンス活動を行うことによって、SEPに関する利害調整を図っている。

SEPの意義

 自らの特許をSEPにしたい特許権者は、その特許がSEPであると、標準化団体(SSO)や電気通信標準化部門(ITU-T)、国際標準化機構(ISO)、国際電気標準会議(IEC)、米国電気電子学会規格協会(IEEE-SA)などに宣言する。その半面、特許権者は、そのSEPを希望する全ての企業に対し、公平で合理的、かつ非差別的な条件〔FRAND条件(Fair, Reasonable And Non-Discriminatory)〕でライセンス供与する義務を負う。

 特許権者からすると、自ら1ファミリー当たり数万米ドルの高い費用を払ってSEPであると認定してもらっても、得られるライセンス料は抑えられ、ライセンス先を自由に選定できないなど、特許戦略が大幅に制限されるデメリットがある。しかし、一方で、[1]標準化を図ることで市場の拡大を期待できる、[2]相互に特許を持ち合い、ライセンスを供与し合うことにより、開発や販売を行う際に他社から権利侵害で訴えられる確率を減らすことができる(FTO: Freedom to Operateの確保)、[3]1度SEPに認定されれば、対象となる標準規格を使う全ての製品に対してライセンス料が必要な旨を容易に証明することができるというメリットがある。こうした比較衡量の中で、多くの企業がSEPの認定を受けることになる(表1)。

表1●SEPのメリットとデメリット
表1●SEPのメリットとデメリット
各種資料を基に正林国際特許商標事務所が作成。
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新製品が複雑化する中で重要性が増すSEP

 通信などの分野でSEPの数が増える背景には、新製品の開発コスト増加や、設計の複雑化、使用デバイス数の増加、トレンドの変化の加速などがある。今や一企業だけで新製品を生み出すことは不可能であり、他社の特許をいかに低コストで使うかという戦略が求められている。そのため、通常は個別の企業とライセンス料を交渉していくよりも、SEPのパテントプールを組成して利害調整が行われる。

SEPの経済価値は必ずしもTier1とは限らない

 実際の新製品開発の過程では、標準化と特許出願が同時並行で進められていく。昨今では研究開発費が高騰する半面、製品寿命が短いことから、新製品を市場投入した後は速やかに投下資金を回収する必要がある。そのためには、世界的に早期に売り上げを極大化することが必要で、標準化は極めて重要なテーマとなる。

 実際の標準を作るのは、有力な企業やそうした企業が支援する業界団体などが核となるワーキンググループ(WG)だ。そこで決められた標準に必須の特許がSEPであり、参加企業はWGを通して、自社の特許をSEPに誘導することが可能となる。

 ただし、重要な特許を全てSEPにしてしまうと、FRANDに縛られてマージンやライセンス料が抑えられてしまう。このため、実際には、中核となるSEPとは別に、その周辺に重要な特許を出願しておくという戦略が採られる。経済価値という観点では、むしろSEPがティア(Tier1;特許の最上位カテゴリー)とは限らず、戦略的にSEPにしなかった周辺特許の方が収益を生み出すTier1特許であるケースも多い。

 SEPは競合先も持っていることが多く、ライセンス料の相互支払いが発生する。実際のライセンス料の決定は、互いのSEP保有件数によって行われるため、SEPの件数を増やすインセンティブ(動機)が企業にはある。SEPの認定は標準化団体やパテントプールなどが行うが、その基準は標準に必須かどうかであるため、中には技術的にさほど重要ではない特許もSEPとして宣言されることがある。

SEP特有の訴訟リスクも考慮する必要あり

 FRANDという基本原則はあるものの、具体的なライセンス料の基準などがあるわけではない。そのため、料率でもめることがよくある。また、当初からパテントプールに参加できなかった新興企業にとっては大きな障壁になるため、SEPに関する訴訟は多い。具体的には、ライセンス供与しないことへの提訴、あるいはFRAND条件の具体的内容が争点となっている(表2)。

表2●最近の米国の主なSEP関連訴訟
表2●最近の米国の主なSEP関連訴訟
「平成 30 年度 特許庁産業財産権制度問題調査研究報告書 標準必須特許を巡る紛争の解決実態に関する調査研究報告書 平成31年3月(2019)」を基に正林国際特許商標事務所が作成。
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 以前、SEPに関するライセンス供与の指針、すなわち「IPRポリシー」は各国の標準化団体が独自に定めていたが、2006年にITUやISO、IECが共同でポリシーを策定、全世界的に統一された。このようにSEPは歴史が浅く、原則であるFRAND条件の具体的な運用に関しては様々な議論がある。今後、判例が積み重ねられる中で、運用ルールが確立していくことであろうが、当面は、画期的な技術であればあるほど、SEPであるが故の訴訟リスクを考慮しなければいけない。