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 「何だ、これは?」。関係者の受けたであろう驚きは想像に難くない。世界中の最先端企業がしのぎを削る拡張現実(AR)の分野で、東京のベンチャー企業が世界で初めて視野角(FOV)60°(度)を実現するARグラスと小型プロジェクターの開発に成功したと発表したのだ。彗星(すいせい)のごとく現れた企業の名はCellid(東京・港)。2016年に設立されたばかりのARテクノロジー・ベンチャーだ。

量産プロセスの技術検証に入ったガラスウエハー
量産プロセスの技術検証に入ったガラスウエハー
(出所:Cellid)
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急拡大が見込まれるAR市場

 ARを使ったウエアラブルデバイスは、スマートフォンに代わる次世代型デバイスとして注目を集めている。現在既に1兆円を超えているといわれる仮想現実(VR)/ARの世界の市場規模は、ここ5年ほどで6倍程度に急拡大すると予測されている。

 消費者向けには主にゲームやエンターテインメント用途の、法人向けには人材トレーニングや産業メンテナンス、リテール(小売り)用途のARの伸びがけん引するとの見方が主流だ。その上、新型コロナウイルス感染拡大による「巣ごもり需要」の拡大や非接触要請の高まりで、ARにはさらに追い風が吹いている。

 今後5G(第5世代移動通信システム)が普及し、通信速度の大幅な向上がAR拡大を後押しする。ARにおいて、4G(第4世代移動通信システム)では質感を伴う3次元映像の結像は難しく、5Gになってようやく可能となる。今後の通信速度向上により、AR拡大に拍車がかかるだろう。

AR/VRに既に参入している、もしくは参入が想定される主な完成品メーカー
AR/VRに既に参入している、もしくは参入が想定される主な完成品メーカー
各社の公開情報に基づき正林国際特許商標事務所が作成。
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ARの実用化に向けた開発の高いハードル

 現実の映像の上に画像を重ねるAR は、VRと比べて実用化に向けた開発ははるかに難しい。VRは画像全体が仮想であるため、視界全体を外部から遮って画像を映写することができるから、視野角を大きくとることができる。画像もあらかじめ記録したものを使うことで構造も比較的シンプルだ。

 一方、ARは、現実映像に情報画像を重ねるため、現実映像の情報を取り込みながら適切に情報映像を重ねなければならない。このために、ハードウエア面では情報映像の投映に耐える光学デバイスの開発を要する。ソフトウエア面では、現在の位置情報の正確な把握、映写する画像の位置決め、映写する画像の正確な投映を可能にする高速演算処理などの開発が必要だ。つまり、技術的に高いハードルが数多くある。

 ハードウエアでは、特に各社がしのぎを削るのがFOVの拡大だ。ARは現実画像に情報画像をシースルーで重ねることから、視野角の確保が難しい。視野角が狭いと「没入感」が得られず、ARの利用者にとってストレスとなる。自然に開いた両手が普通に見える視野角である最低60°の視野角が渇望されていた。

FOV拡大に向けたARグラスの技術開発

 ARデバイスとして高いシェアを誇るのが、米Microsoft(マイクロソフト)が開発した「HoloLens」だ。このデバイスには本体にCPUやGPU(画像処理半導体)、ホログラフィック・プロセッサーが内蔵されており、スタンドアローン(単独)で機能する。主に法人向けで、ハンドジェスチャーによって操作でき、作業効率の向上や共同作業における意思疎通のしやすさを実現。ソリューションの提供力と相まって高い評価を得ている。ただ、このデバイスは、視野角が52°と狭い上、ヘッドマウントディプレー(HMD)方式を採用しており、重いという難点があった。

 デバイスの小型・軽量化と高精細な映像の要請から、プリズムを使って像を結ぶ「プリズム」方式、ハーフミラーを使って映像を映し出す「バードバス」方式、そして、レンズそのものの中で光線の角度を変化させて画像を映し出す「ウェイブガイド」方式へと進化してきた。ウェイブガイド方式ではレンズの中で光線の角度を変化させるため、FOV拡大は、[1]ガラスウエハーに使用する適切な素材、[2]多層膜フィルター構築技術、[3]高度な光学シミュレーション技術、を必要とする難易度の高い研究開発である。

ディスプレー方式の進歩
ディスプレー方式の進歩
公開情報に基づき正林国際特許商標事務所が作成。
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 このFOV拡大という難しい課題を、2016年に設立されたばかりの日本のベンチャー企業が解決したのだ。この成功は決して幸運ではなく、経営陣の明確な戦略の下で実現したとみるべきだ。