新型コロナウイルス感染症ワクチン(以下、新型コロナワクチン)の特許をめぐり、米国がこれまでの立場を変更して一時停止に賛同する姿勢を見せている。もともと米国は自国の知財保護に熱心で、対中国でも強硬姿勢を継続している。今回の特許一時停止に対する賛同の背景と今後の見通しを探った。
新型コロナウイルスの収益貢献は劇的
新型コロナワクチンをいち早く供給できたのは、超大手の米Pfizer(ファイザー)と英AstraZeneca(アストラゼネカ)、感染症に特化した米Moderna(モデルナ)など大手創薬ベンチャーに限られた。感染症薬を主力とするモデルナの例では、新型コロナワクチンの収益貢献は2021年1Q(第1四半期)から本格化し出したが、その恩恵はわずか3カ月で前年の2倍以上の売り上げを計上し、利益も前年の赤字を帳消しして余りあるほど劇的だ。
もともと感染症薬は、正直なところあまりもうかっていなかったと思われる。だからこそ、日本の製薬会社を含む世界のほとんどの製薬会社は、ヒト免疫不全ウイルス1型(HIV-1;エイズウイルス)ワクチンを除いて感染症の新薬開発に消極的だったのだ。
今回も先行者利益を享受できる期間は、ここ2年程度に限られると思われる。こうした背景があり、先行組は特許の一時停止に難色を示している。
特許を無効化する法律的枠組み「強制実施権」
特許も国の法律である以上、国の判断でその特権を一時的に停止することは可能だ(強制実施権)。通常、第三者が持つ特許技術を利用して製品を製造する際には、特許権者の許諾が必要となる。ところが、一定の要件を満たしていることを前提に当局に申請し、それが認められれば、特許権者の事前の承諾を得ることなく当該特許技術を使うことができる。これを「強制実施権(の発動)」という。
強制実施権は、世界貿易機関(WTO)における知的財産権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)で認められたもので、実施要件は各国で異なるものの、日本や米国をはじめほとんどの国で特許法上認められている。
日本における実施例はない
一般に、特許技術の使用には特許権者の承諾が必要だ。だが、協議が調わない場合、利用を希望する者は特許庁長官の裁定を求めることができ、そこで認められれば特許の利用を認められる。これが「強制実施権」と呼ばれるもので、発明の不実施(第83条)と特許の利用関係(第92条)、公共の利益(第93条)の3つが対象となっている。
ただし、日本では実際に裁定まで行った例はない。特に、第93条の公共の利益に関する強制実施権の適用は慎重にすべきだとされてきた。実は、1959年までは軍事上の機密技術に関しては政府が自ら特許権の制限や収容、特許の取り消しを行うことが可能だった。だが、国民の財産権を保護するという観点から、1959年に改正された特許法では、政府による強権発動規定が削除され、まずは両者で協議し、調わないときは当事者からの裁定請求という流れを定めたという経緯があるほど特許の権利を重視している。
2011年までは新薬を対象に相次いだ新興国
一方、新興国では、特に欧米メガ・ファーマ(巨大製薬企業)が抗HIV薬を完成させた2000年代前半を中心に強制実施権の発動が相次いだ。自国の患者が爆発的に増える中、メガ・ファーマが提示するライセンス料では安価な治療薬の大量供給が困難となり、特許権の制限に至ったのだ。
多額の開発費を回収するための担保となる特許が制限されるとなれば、新薬でもうけるという製薬会社のビジネスモデルそのものが崩壊する。そのため、製薬会社は対抗措置として強制実施権を実施した国における新薬の生産・販売を取りやめることになる。そうなれば、その国では優れた新薬が承認されなくなり、新薬の恩恵を受けることができなくなるであろう。
こうした悪循環を断ち切るために創設されたのが、医薬品パテントプールだ。