欧米では、都市は「科学」を基盤に形づくられてきた。2000年代からの海外経験でその重要性を強く認識し、建築・都市の領域とコンピューターサイエンスの領域を架橋する立場を選んだのが吉村有司氏だ。国内の「スマートシティー」プロジェクトが見失っている視野をいかに取り戻すか。建築家の豊田啓介氏との議論を3回に分けて掲載する。
豊田 海外でのご経験からお話しいただけますか。
吉村 僕は日本で建築を学んでから、スペインと米国で働いています。バックグラウンドとしては建築家、そしてアーバンデザイナー、アーバンプランナーなんですけれど、博士号はコンピューターサイエンスで取りました。得意な領域はAI(人工知能)、ビッグデータ、都市計画、まちづくり、建築といったところです。
2001年にスペインのバルセロナに移り住み、05年から09年まではバルセロナ都市生態学庁(BCNecologia:Barcelona Urban Ecology Agency)という市の機関に、09年から11年まではカタルーニャ先進交通センター(CENIT:Center for Innovation in Transport)という州の機関に勤務しています。それらの機関では、IT(情報通信技術)を使った交通計画や歩行者空間を立案し、戦略を策定する立場でした。
バルセロナはもともと、ビッグデータという概念ができるはるか以前から、データに基づくまちづくりを進めていました。GIS(地理情報システム)などを使って様々なデータを取得し、それらを定量分析して都市計画に生かす。そんな取り組みを続けてきた経緯があるんです。
バルセロナが初めて都市計画にサイエンスを用いた
豊田 バルセロナでは、いつ頃から始まった取り組みなんでしょうか?
吉村 その辺りは、僕自身の研究として調べ始めているところです。例えばバルセロナの都市計画の歴史を遡ると、1859年に都市計画家のイルデフォンソ・セルダ(Ildefonso Cerdá)がバルセロナ都市拡張計画をまとめています。
当時バルセロナの歴史的中心地区とされる場所には市壁が張り巡らされており、人口が集中して非常に高密度になっていました。人と人の距離が近くなるので、コレラなどの疫病がはやる問題が起こったわけです。セルダが先進的だったのは、労働者一人ひとりに訪問調査を行い、彼らの住環境に関するデータを取って徹底的に調べ上げた。その分析結果を都市計画に反映させたんです。
豊田 今に至るバルセロナのグリッドプランの基になっている計画ですね。分析結果は、棟間距離や日照時間に反映されているんですか?
吉村 セルダは、「都市を田舎化し、田舎を都市化せよ」などの言葉と共に、都市の中に緑地をふんだんに盛り込み、133m×133mのグリッド(400mユニットの一辺を3等分)の2つの辺だけに建物を配置するイメージを持っていました。残りの空間を緑地や公園などに当て、3分の2以上をオープンスペースとする。現在は立て込んでいますけれど、元はそれによって十分な採光ときれいな空気を保証する計画だったんです。
それらは全て、「悪い空気が病気をもたらす」という当時信じられていた公衆衛生学の考えを取り入れたものです。
ここからは仮説の段階ですが、セルダの取り組みは、都市計画にサイエンスを用いた世界で初めての動きではないか。僕は、それを今後の研究で主張したいと考えています。
つまり、セルダ以降の歴史的な伝統として、バルセロナは都市計画にサイエンスを用いてきた。データを収集して都市計画に取り入れる方法が、そういった過程で普通に存在してきたんです。まさに、その歴史がデータを扱うことに対する障壁を下げているのではないかと思っています
豊田 行政の中でDNAとして受け継がれてきたんですね。
吉村 僕はそう思っています。