データを活用する都市開発に関し、欧米の先進的な動きはどう進んできたのか。建築・都市の領域とコンピューターサイエンスの領域を架橋する立場の吉村有司氏と、建築家の豊田啓介氏による議論の2回目。日本国内の取り組みに決定的に欠落しているポイントを2人が指摘する。
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豊田 近年は、具体的にはどんな研究をされていたのですか?
吉村 Bluetooth(ブルートゥース)センサーによるトラッキング以外では、クレジットカードの購買情報を使った研究があります。スペインの大手銀行と提携し、10年ぐらい継続しているものです。当初は都市内での買い回り行動分析などに用いてきたのですが、近年は特に歩行者空間の評価のために、そのビッグデータを使おうと試みています。
僕の専門の1つは、自動車道の歩行者空間化といわれる領域です。今後、人間中心の歩ける都市、つまりウオーカブルシティが世界的に目指される都市像になると思います。そのときに、歩行者空間化っていいよねっていう、ふわっとした空気で導入されかねない面がありますよね。
そうではなく、やはりエビデンスとなるデータがあった方がいい。歩行者空間にするとこんな効果がある、もしくはこう変わるといったことを定量的に市民に説明できた方がいいと思うのです。そこで、その試みの1つとして土地利用を歩行者空間に変える前と後で、その道路に面している小売店の売り上げがどう変化するかの定量分析を積み重ねてきました。
というのは、バルセロナで歩行者空間化の計画立案と実施を現場で続けてきた経験として、これに一番抵抗するのは沿道の小売店なんです。自分たちの店の前を車が通らなくなったら売り上げが落ちると考えているわけです。
僕らの経験則からすればそれは必ずしも正しくなくて、歩行者が多くなれば軒並み売り上げは上がる傾向にある。ところが、それを説得するための既存のリサーチ、特にサイエンスに基づく学術論文が全くなかったんです。
あったとしても街の一部を歩行者空間にしたときにどうなるかとか、ある一定の期間に区切って歩行者空間にしたときとか、断片的な試みにとどまっている事例が大半でした。土地利用と、そこに面する小売店の売り上げの関係をミクロに扱い、かつ同時に都市全体をマクロに分析する方法が存在しませんでしたからね。これはクレジットカード情報をビッグデータとして扱うことで可能になってしまうわけです。
そうやって一定のサイエンティフィックな裏付けを与えていけば、人間中心のまちづくりは一気に進む可能性がある。大きな進歩だと僕は思っています。
コンピューターサイエンスと都市・建築の両方が分かる人がいない
豊田 日本に戻った理由はあるのですか?
吉村 MIT(マサチューセッツ工科大学)のあるボストンでは、食事をはじめ日常生活の質は決して高くないという不満を感じていました。といっても日本に戻るつもりは全くなかったので、今回、東京大学から声をかけていただいたのがきっかけです。
現在の立場は東京大学先端科学技術研究センターの特任准教授で、情報科学とアーバンサイエンスを担当します。僕の今までの知見や経験を生かしながら、東京に「AI×ビッグデータ×建築×都市計画×まちづくり」をカバーできる世界的な研究拠点をつくり出そうと思っています。
豊田 日本の研究機関が取り組む、いわゆるスマート的なテーマというのは、ずっと上流側ではデータ連携かエネルギーの領域に二極化してしまった傾向がありますし、下流ではIoTデバイスやロボティクスなどいくつかのものづくりに関わる領域に分かれている。それぞれの領域の間をつなぐ具体的な手法が見えてこないという点で問題です。
一方、都市系や建築系からのアプローチは、物質を扱う領域か、せめてふわっとしたまちづくりなどが主流で、いまだ吉村さんのようにAI(人工知能)やビッグデータを軸にする流れは、ほとんどありません。しかし、今後、次世代のスマートシティープラットフォームの構築などを考えるなら、もっと増えてほしいと思っています。
吉村 日本でも非常に可能性があると思います。都市、建築分野でもAIやビッグデータの重要性が理解され始めたので、実際に企業から共同研究の話がかなり来ています。個人的な見解なんですが、そのときにコンピューターサイエンス分野と都市、建築分野の両方が分かる人がいないんですよね。
豊田 建設や不動産、言い換えれば建築産業や都市産業って日本のGNP(国民総生産)に占める割合で言えば最大の産業なのに、そういう視点で研究や開発ができる人材も機関も、ちょっと桁外れに不足していますよね。
吉村 日本に限らず、世界的に見てもあまりいません。MITのSENSEable City Lab(センセーブルシティーラボ)には常時40人くらいのリサーチャーがいます。しかし、いろんな職種が集まっている中で建築がバックグラウンドにある人間は、創設者のカルロ・ラッティと僕、それからもう1人の3人しかいませんでしたからね。
豊田 現状では断然マイノリティーなんですね。
吉村 コンピューターサイエンティストの他には統計学者や物理学者、生物学者や数学者が大半です。科学的にデータを分析し、英語の論文としてトップジャーナルに通すことのできる都市計画家や建築家がいかに少ないか……。
豊田 今は何をやるんだってデジタル技術は切り離せないし、ITを使わなければ産業は成り立ちません。それなのに、都市、建築分野では注意が向かわないどころか、いまだに嫌悪感のようなものが残っている気がします。すごくもったいない。
吉村 もっと促進させるのが、日本に戻ってきた僕の使命の1つになると考えています。