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 30~40年をかけて適正な状態に誘導する都市計画の方法と、デジタル技術で変革を図ろうとする方法には、スピードにギャップがある。コロナ禍のような事態も、都市の姿に見直しを迫る。都市計画の領域は「スマート化」にどう対応していくのか。都市計画家の饗庭(あいば)伸氏と建築家の豊田啓介氏の議論を3回に分けて掲載する。

豊田 饗庭さんは都市計画家としてコンパクトシティーについて継続的に論じられてきた1人です。今回は「都市計画」や「コンパクトシティー」というキーワードを使い、コロナ禍の後に想定される社会的な文脈と、都市関連のテックの文脈を重ね合わせてみたいと思います。スマートシティーの話に限定せず、饗庭さんの研究領域から今、何が見えているのかをお聞きするつもりです。

 2020年に入って起こった新型コロナウイルス感染症の問題は、都市の使い方における離散化やシェア化の議論を、改めて推し進めるきっかけになるはずです。そのとき、都市から地方、都心から郊外に分散する動きを活性化させるとみる向きもあるし、本当にそうなのかと懐疑的な向きもあるのが現状ですね。

饗庭 今回のコロナ禍では、都市計画としてはまず、密度に対する問題提起だと受け取られているわけです。人や物が集中している高い密度のところがリスキーであるという見られ方になってしまった。密度が高い都市をつくり出そうと考えているコンパクトシティーのコンセプトをひっくり返してしまうんじゃないのかと思われている情勢です。

 といっても、今後10年間、コロナ禍が続くとは考えられないので、完全にひっくり返るものでもない。今はまず、コンパクトシティーという考え方を捨てるのではなく、コンセプトを少しばかり進化させる方向で対応するしかないと思っています。

東京都立大学都市環境学部都市政策科学科/同大学院都市環境科学研究科都市政策科学域教授の饗庭伸氏(資料:日経クロステック)
東京都立大学都市環境学部都市政策科学科/同大学院都市環境科学研究科都市政策科学域教授の饗庭伸氏(資料:日経クロステック)
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豊田 コンセプトを進化させるとは?

饗庭 「人口密度をきめ細かくコントロールするのがコンパクトシティーの技術だ」という言い方をしています。

 密度を高めるもよし、低めるもよし。場合によっては、短い時間の中で密度をコロコロ変えていけるようにする。

 密度をつくり出すのではなく、密度をコントロールできるようになるのがコンパクトシティーだというふうに進化させるわけです。実際の政策として実用化されている考え方ではありません。まだこれからですが、それが私なりの現在地ですね。

豊田 そもそも都市の在り方をコントロールしようとするとき、コンパクトシティー論というのはどんな問題意識から生まれたのか。何を目指しているのかをお話しいただけますか。

饗庭 最初にお断りしておきます。広く言えば、私はコンパクトシティー論者なのかもしれませんが、都市計画の世界では「いろいろ異を唱える人」みたいな立場になっています。

 というのは、コンパクトシティーの議論が始まった当時、上から押し付ける乱暴なものだなと、私は受け取ったんですね。教条主義的であるし、そんなに簡単にはコンパクトにできないんじゃないの?って感じていたわけです。

 コンパクトシティーという言葉自体、1970年に英国でG・B・ダンツィクとT・L・サアティが提唱したものは、理論が先走った頭でっかちなものでした。当時、香港みたいな街が、これからの都市の姿を示していると言われていました。

豊田 「高密都市」ですね。

饗庭 そうです。日本でも黒川紀章さんや菊竹清訓さんといった建築家が壮大な「インフラ+住宅」プロジェクトを提案し、メタボリズムを提唱しましたが、これも理論が先走っていましたよね。コンパクトシティーも最初はそれに近いものだったと思います。

 そうしたインパクトが強い未来像の提示の後、日本では広がり過ぎてしまった都市を改めて集約するという議論が本格化していきます。

豊田 モータリゼーションによって拡張した、ロサンゼルスのような都市が対抗イメージとしてあるのでしょうか?

饗庭 はい。自動車の問題は都市計画に携わる人が、常にどうしようかと考えている対象の1つでした。

 1980年代の終わりごろに、米国からニューアーバニズムという考え方が提唱されます。それも要は、なるべく車を使わずに公共交通に頼り、駅前ににぎわいを集め、歩いて暮らそうというコンセプトでした。英国ではアーバンビレッジという言葉も提唱されています。コンパクトシティーに限らず、似たようなことを言っている人たちが世界の各所にいたわけです。

 こうした欧米の動きを追い掛けるように、コンパクト化が日本の中でメインストリームになっていったのは、1つには地方都市の商店街が駄目になっていく動きと関係しています。

 大型スーパーやショッピングモールが郊外に増える一方で、中心市街地の空洞化が大きな社会問題になったのが1990年代の後半です。98年には中心市街地活性化法が施行されました。

 なぜ中心部が大事なのか、なぜそこに補助金や交付金を投入するのか。中心市街地派の人たちが強調したのは、やはり歩いて暮らせるコンパクトな街が望ましい、と。高齢化社会では特に、そんな環境が理想的だと主張し、郊外化の傾向に抵抗したんです。

 当初のコンパクトシティーの議論は、そんなふうに始まったのだと思います。

豊田 21世紀に切り替わるころの話ですね。

饗庭 この議論に、人口減少の問題と地球環境問題が加わっていきます。車に頼って化石燃料を浪費するのはよくない、移動を減らせるコンパクトな都市の方がエネルギー効率の点でも優れるという論調になったわけです。

 日本では、これらの合わせ技で「コンパクトシティー」の考え方が磨かれていきます。当時は「集約型都市構造」と言っていましたが、政策として明確に言語化されたのは、改正まちづくり三法の施行された2006年のことです。

 その後もコンセプトを練り続け、立地適正化計画制度(14年創設)で「コンパクトシティ・プラス・ネットワーク」という言葉が示されました。それで、だいたい固まったような感じですね。

国が推進するコンパクトなまちづくり。「人口減少・高齢化が進む中、特に地方都市においては、地域の活力を維持するとともに、医療・福祉・商業等の生活機能を確保し、高齢者が安心して暮らせるよう、地域公共交通と連携して、コンパクトなまちづくりを進めることが重要」としている(資料:国土交通省)
国が推進するコンパクトなまちづくり。「人口減少・高齢化が進む中、特に地方都市においては、地域の活力を維持するとともに、医療・福祉・商業等の生活機能を確保し、高齢者が安心して暮らせるよう、地域公共交通と連携して、コンパクトなまちづくりを進めることが重要」としている(資料:国土交通省)
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