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 唐突だが、長年にわたり国連難民高等弁務官として難民支援活動に携わり、2019年10月に亡くなった緒方貞子さんのエピソードを紹介することから始めたい。

 緒方さんは、若者に対して、歴史と理論を勉強することの重要性を繰り返し語っていたという。何よりも現場での活動を重視したことで知られる緒方さんが、歴史と理論の勉強にこだわったのは意外なことのように思える。現場での活動と、歴史や理論は一見関係ないようにも思えるからだ。現場で必要とされるのは、経験やノウハウ、スキルである。

 しかし、それだけでは優れた現場を長年維持できないのである。現場で起きる長期の流れを理解するには歴史認識と歴史観が必要になるし、現場で起きていることを分析し先読みを形成するには理論が必要になるからだ。逆にいえば、リーダーが歴史と理論に対する一定の素養を持つことなしに、高質な現場を長続きさせるのは難しいということである。

 これは、難民支援の現場に限らず、全ての現場に当てはまることだろう。もちろん、企業経営の現場にも当てはまる。大きな環境変化に翻弄されずに優れた企業経営を持続させるには、歴史と理論による支えが必要になるということだ。現実の企業現場と理論は、決して対立するものはなく、互いを否定し合うものでもない。むしろ、互いに補完し合うものであり、理論があって初めて企業現場の長期の流れを理解し、先を読むことができるのだ。

共進化が自動車業界にもたらす影響

 さて、話を本コラムのテーマである日本の工作機械産業の歴史に戻そう。これまで、日本の工作機械産業が長年世界最強の産業であり続けることができた要因を探ってきた。そこから分かった1つの要因は、CNC(コンピューター数値制御)装置と工作機械本体との間で相互に価値を高め合う共進化のメカニズムを日本の工作機械産業が作り上げたことだ。その詳細は、拙著『日本のモノづくりを支えた ファナックとインテルの戦略』(光文社新書)に詳しい。

 この共進化をもたらす力は、間接ネットワーク外部性(あるいは、ネットワーク外部性の間接効果)というものだ。これは、相互に補完的な関係にある補完財同士であれば、CNC装置と工作機械本体に限らず、補完財同士の間で働く力である。補完財は単体では価値を生み出せず、他の財とペアになって初めて価値を創造できるという意味で、運命共同体のようなものであり、これらは相互促進的に価値を高め合いながら進化する。

 例えば、ゲーム機のハードとソフトの間にはこの間接ネットワーク外部性が働くし、巨大プラットフォーマーが独り勝ちするのも、この力がもたらすポジティブ・フィードバック・サイクルの由縁である。

 現代は、複雑な分業関係が産業と国境を超えて、グローバルに形成されている時代だ。そのような時代、産業の潮流と進化を読み解く1つの鍵は、補完財に着目しそこに働く間接ネットワーク外部性の力を見ることである。ただし、それは目に見えない力だから、意識的に思考を働かせて見ようとしなければならない。自然に目に入ってくるものではないのだ。

 この間接ネットワーク外部性を意識して、自動車産業の現場で目まぐるしく展開する電動化の動きについて考えてみたい。「脱エンジン」の動きは、世界のあらゆるレベルで加速している。国家レベルでは、英国やフランスの政府が2040年までにエンジン車の販売を禁止する方針を既に打ち出した。中国や米国でも政府が環境規制強化を強めている。

(出所:PIXTA)
(出所:PIXTA)

 個別企業レベルでも様々な動きが見られる。ドイツの大手自動車部品メーカーであるコンチネンタル(Continental)は、2030年までに内燃機関の開発を打ち切ると発表した。最近では、米国ラスベガスで開催された技術見本市「CES 2020」においてソニーが電気自動車(EV)の試作車を発表したばかりだ。同社が自前で全てを開発したわけではなく、ドイツのボッシュ(Bosch)などの大手自動車部品メーカーや、米国の大手半導体メーカーのクアルコム(Qualcomm)などと共同開発を進め、自動運転や音響・映像の技術を詰め込んだものである。これはソニーが自動車開発に直ちに参入することを意味するわけではないが、一定の驚きを持って迎えられたことは間違いない。

 このように脱エンジンを巡る動きが、政府や企業などの様々なレベルで、従来の業界の垣根を越えて目まぐるしく展開されている。現場で起こる現象にだけ目を奪われると産業の大きな流れを見失ってしまう。そこで理論の出番になる。間接ネットワーク外部性の観点に立つと、一体何が見えてくるだろうか。

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