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 垂直記録は、当時東北大学の教授だった岩崎俊一氏(現・東北工業大学 理事長)による原理の提唱後、パラダイムシフトの可能性を秘めた新技術として注目を集め、多くの企業が研究開発にまい進することになった。しかし、逆風が吹き始める。米IBM社による別の技術提案が、垂直記録にとっての大きな壁として立ちはだかったのだ。垂直記録の研究開発は下火になり、ついに長い冬の時代に入った…。

※本記事は、2006年発行の『日経エレクトロニクス』に掲載された記事を再構成・転載したものです。記事中の肩書きや情報は掲載当時のものです。

ドリフトで洗礼

 「うわ、田中さん、なんて運転するんですか!」

HGST社で垂直記録方式の実用化を進める高野公史氏。(写真:柳生貴也)

 下火になった垂直記録方式の火は、決して消えたわけではなかった。研究者一人一人の心の中で、再び燃え上がるときを待っていた。岩崎の教え子、米Hitachi Global Storage Technologies, Inc.(HGST社)の高野公史もその一人である。

 高野は、後に東芝で垂直記録方式を実用化する田中陽一郎に2年遅れ、1982年に岩崎研究室の門をたたいた。

 岩崎研究室に来て早々、高野は学会の準備のために宮城教育大学へいすを借りに行くことを命じられる。東北大学から宮城教育大学へは、仙台駅の西にそびえた青葉山を越える山道が通じていた。このときハンドルを握ったのが田中だった。自動車部に所属していた田中は、水を得た魚のようにドリフトを駆使して山道を駆け抜けた。田中の乱暴な運転に、高野はシートにしがみついて必死にこらえた。

東芝で垂直記録方式の実用化を推進した田中陽一郎氏。(写真:柳生 貴也)

 高野が岩崎研究室を希望したのは、岩崎が垂直記録方式を発表した直後に新聞が掲載した一コマ漫画などを見て、垂直記録方式に興味を持ったからである。

 大好きだったビートルズの楽曲をテープに録音して毎日のように聴いていた学生時代、通常のテープよりもメタル・テープの方が良い音で再生できると感じていた。垂直記録方式という最新の磁気記録技術を使えば、さらに音が良くなるのではないかと思ったという。

 当時の岩崎研究室は、既に垂直記録方式の研究を看板にしていた。その極意を学ぼうと、米国やイタリア、中国など世界各国の研究者が集まっていた。30人ほどの学生のうち、半数以上が外国人だったという。ほかの研究室と異なり、英語が飛び交う独特の雰囲気が漂う。そんな環境の中で、高野は垂直記録方式のモデル化を担当し、垂直記録方式の利点や可能性を身をもって実感した。

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