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 冬の時代を過ごした垂直記録の研究開発が、ついに反撃ののろしを上げた。日立製作所の研究チームが、垂直記録で最高の面記録密度を実証したのだ。一気に研究開発は、磁気記録の最前線に返り咲いた。それを見て、闘志を燃やす、ライバル企業の研究者がいた…。

※本記事は、2006年発行の『日経エレクトロニクス』に掲載された記事を再構成・転載したものです。記事中の肩書きや情報は掲載当時のものです。

 「Hey, look at that!(おい、見ろよ!)」

 「Who the hell is he?(何だ、あいつは?)」

 2001年夏。米国西海岸のSanta Barbara。人々が日光浴に興じている浜辺に、アタッシェ・ケースを手にしたジャケット姿の場違いな東洋人が現れた。周りを見回した男は、おもむろにノート・パソコンを取り出し、浜辺の片隅に置いた。何をするかと思いきや、手にしたカメラでノート・パソコンを撮影し始める。構図を決めるためか、ファインダーをのぞきながらパソコンの周りをうろうろ歩く。カメラマンばりの凝りようだ。けげんな顔で見つめる海水浴客には目もくれず、男はうれしそうに撮影を続けた。

2001年夏、米国Santa Barbara Airportに隣接するビーチで東芝の田中陽一郎氏が撮影した。
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 この男は、東芝でHDDの開発を進める田中陽一郎だった。彼が持ってきたノート・パソコンには、垂直記録方式を用いたHDDが収まっていた。長手記録方式を使った既存のHDDと同様に動作する試作機が、既に出来上がっていたのである。

 念願の試作機が完成したのは2001年春。田中は信頼性試験もそこそこに、早速ノート・パソコンに組み込んで出張のたびに持ち出していた。国内だけでは飽き足らず、2001年5月の海外出張を皮切りに海外へも試作機を連れ出した。

 2001年夏の出張に持参したノート・パソコンには、早くも2世代目の試作機が入っていた。全米各地を転々とした田中は、浜辺だけでなく自動車のボンネットや空港の待合室のいす、ホテルのソファーの上など、思い付く限りの場所に置いて撮影を繰り返した。カメラ好きの田中が光の加減とアングルに気を使ったというだけあって、写真の出来は上々だった。

 このときの試作機の容量は12Gバイト。当時の製品とほぼ同じだった。田中は、この試作機に無謀にも出張で必要なすべての資料を詰め込んでいた。ひょっとして壊れたら――「まあそのときも何とかなったでしょ」。当時を振り返って田中はそう、うそぶく。

東芝の田中陽一郎氏は、垂直記録方式を用いたHDDを搭載したノート・パソコンを、世界各地に持ち出した。左から、米国Santa Barbara Airportの駐車場、米国Los Angeles International Airport、米国ペンシルベニア州Allentownで撮影した。
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