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では、満を持して丹下健三でよろしいでしょうか。

|よろしいです(笑)。

|クライマックスですね。

丹下健三
● 戦後建築この10人 ●
丹下健三 Kenzo Tange
1913(大正2)年─2005(平成17)年

国家的イベントでは必ず出番
東京大学から前川國男の事務所を経て東大に戻り、助教授、教授と歴任しながら設計活動を行った。代表作は敷地外の原爆ドームに向けた軸線を設定して配置計画の要とした広島平和公園や、日本の伝統と鉄筋コンクリート架構の美学を統合した香川県庁舎など。1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万博といった国家的イベントでは、会場計画や主要施設の設計を担い、日本を代表する建築家の地位に就いた。その設計は海外からも高く評価され、1970年代以降は、世界各地でプロジェクトを進めるようになる。プリツカー賞を初めて受賞した日本人でもある。
(イラスト:宮沢 洋)

丹下健三は1913年生まれで、10人の中では吉阪隆正に次ぐ若手です。藤森先生は以前、丹下全史(「丹下健三」、2002年、新建築社)を書かれていますね。

|丹下さんの評伝を書いているときに強く意識したのは、20世紀の建築史の中であの人は一体何をしたのかということです。20世紀の建築は前半と後半に分かれて、前半はバウハウスとコルビュジエの時代。でも、コルビュジエがやれなかったことがある。それは構造表現主義です。進んだ時代の構造技術を表現として見せる。その代表がソビエトパレス(1932年に開催された設計コンペの提案)です。

スターリンが計画したソビエト・パレスのコンペ(1932年に開催)にル・コルビュジエが提出した案の模写。幻となったこの案は国立代々木競技場にも影響を与えた(イラスト:宮沢 洋)
スターリンが計画したソビエト・パレスのコンペ(1932年に開催)にル・コルビュジエが提出した案の模写。幻となったこの案は国立代々木競技場にも影響を与えた(イラスト:宮沢 洋)
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 ソビエトパレスは構造表現主義の最高傑作。でも、実現しなかった。当時の技術では、というより、今の技術でもあのアーチは難しかったと思う。だけど、その構造表現主義を実現することがコルビュジエ系の人たちの20世紀後半のテーマになった。

 それに挑んだのが、日本では丹下さん、アメリカではエーロ・サーリネン(1910─61年)、ブラジルではオスカー・ニーマイヤー(1907─2012年)。ヨーロッパの建築家たちには、コルビュジエの影響は意外に少ない。フランスなんかは、コルビュジエ系の人たちに全く仕事をやらせなかった。だから、新興国の人たちが構造表現主義に挑んだ。

 丹下さんは構造表現主義の点でいうと、2つのことをやった。1つはラーメン構造。木造のラーメン構造を鉄筋コンクリートでつくる。これは戦後の代表作の1つ、香川県庁舎(1958年)で実現した。この影響を大きく受けたのはアメリカです。特にルイス・カーン(1901─74年)とエーロ・サーリネンは、丹下さんの香川県庁舎を見た後、明らかに作風が変わりました。

丹下健三が設計した香川県庁舎(1958年)(写真:磯 達雄、宮沢 洋)
丹下健三が設計した香川県庁舎(1958年)(写真:磯 達雄、宮沢 洋)
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 そして、丹下さんが2つやったことのうちのもう1つが国立代々木競技場です。代々木(1964年)はソビエトパレスへのオマージュ。というか、ソビエトパレスの現実版だと思います。そもそも丹下さんが建築家になろうと思ったきっかけは、ソビエトパレスですから。ソビエトパレスのコンペ案を高校時代に見て、こういう職業に就こうと思った。フランスの雑誌で見たと言っていました。

丹下健三が設計した国立代々木競技場(1964年)(写真:磯 達雄、宮沢 洋)
丹下健三が設計した国立代々木競技場(1964年)(写真:磯 達雄、宮沢 洋)
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 ソビエトパレスは、アーチと吊(つ)りと柱でできている。代々木は、柱を建てて吊っているでしょう。それで、丹下さんはあの客席のことをずっとアーチ、アーチと書いている。あれは普通アーチとは言わないよ。

|確かに普通はアーチとは表現しないですね。

|構造的なアーチではないけれど、造形的にはアーチ。丹下さんは、当時から「このアーチが」と書いていて、それで「ああそうか」と思った。要するに、コルビュジエができなかったことを丹下さんは代々木で実現したかったんだと。アーチと吊りと柱。代々木競技場の完成をもって、20世紀後半はサーリネンやニーマイヤーを抜いて丹下さんが世界のトップに立ったと思います。

日本の頂点ではなくて、世界の頂点ですか。

|はい。代々木は世界の建築界にとって決定的だったと思います。

|丹下健三を構造表現主義として捉えるのは僕もその通りだと思うのですが、今日もこの聖堂の構造を見ながら、藤森先生は何か不可解なところがあるとおっしゃっていましたよね。シェル構造の下の部分がバサッと切れていると。

|久しぶりに見たけど、あんなに切れているとは思わなかったよ。普通は地べたまでシェルが続くよね。

東京カテドラル聖マリア大聖堂を見学する藤森氏と磯氏。「久しぶりに見たけど、シェル構造の下の部分があんなにバサッと切れているとは思わなかったよ」(写真:稲垣 純也)
東京カテドラル聖マリア大聖堂を見学する藤森氏と磯氏。「久しぶりに見たけど、シェル構造の下の部分があんなにバサッと切れているとは思わなかったよ」(写真:稲垣 純也)
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|途中でボックスが貫入する形ですぱっと切れています。構造として考えると、ノイズが入っているというか。

 代々木競技場も、真ん中は確かに吊り橋の構造になっているけれど、そこから垂れる屋根は鉄骨であの形を無理やりつくっているわけで、構造をそのまま形にして表しているのとは微妙に違うところがある。

 代々木と同じ年にできた香川県立体育館は、構造を岡本剛さんが担当していて、彼は代々木に対して批判的に見ていたそうです。

丹下健三が設計した香川県立体育館(1964年)。構造が全体のバランスで成り立っているため、耐震補強工事が難しく、香川県 は補強を断念。閉館したままの状態が続く(写真:磯 達雄、宮沢 洋)
丹下健三が設計した香川県立体育館(1964年)。構造が全体のバランスで成り立っているため、耐震補強工事が難しく、香川県 は補強を断念。閉館したままの状態が続く(写真:磯 達雄、宮沢 洋)
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|でも、だから「表現主義」なんだと思いますけど(笑)。「合理主義」ではない。

|なるほど、確かに(笑)。