新型コロナウイルス感染者らの情報を共有する政府の新システムが稼働から約4カ月を経て、2020年9月10日からようやく全国で利用が始まった。東京都港区が不備を訴え、厚生労働省がシステムを改修したためだ。
当初のシステムに対しては現場の意見や過去の経緯を踏まえずに構築されたという指摘が多く、今も政府のシステム展開は後手に回る。今後の活用も説明不足な点があり、全国で利用が始まっても本来の効果を発揮できず、正確なデータに基づいた効果的な新型コロナ対策ができない恐れがある。
「ファクスをなくす仕組み」と期待された新システム
新システムは「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS:Health Center Real-time Information-sharing System、ハーシス)」である。厚労省はクラウドサービスを使って約1カ月間で新規開発して2020年5月末に稼働させた。
医療機関がHER-SYSを使うとパソコンやタブレットからインターネット経由で管轄の保健所に新型コロナの発生届を送れる。それまで医療現場では、医師が自治体の保健所に新型コロナの発生届をファクスで送っていた。Twitterなどでは「新システムはファクスをなくす仕組み」として期待を集めた。
しかしHER-SYSは全国で一斉に利用が始まることはなかった。港区のみなと保健所を含む複数の自治体の保健所が利用を留保していたからだ。港区は感染者らの個人情報の不正な利用を防ぐ手立てが不十分だと判断し、利用を見送っていた最後の自治体だった。政府は表向きHER-SYSの全国稼働が遅れている点について、「自治体の個人情報保護条例の手続きが遅れているため」と説明していたが実態は違ったわけだ。
港区が問題視したのは、当初のHER-SYSにアクセスログを抽出できる機能がなかった点である。自治体の情報システム管理者らは総務省のガイドラインに基づいて、ネットワークへのアクセスログといった各種ログや情報セキュリティーの確保に必要な記録を保存する必要があるにもかかわらずだ。
自治体や医療関係者によると、厚労省は当初アクセス権を持つ利用者や利用目的、情報の提供先も明示していなかったという。港区はこのままでは学識経験者で構成する同区の個人情報保護審査会の審査にすらかけられないと判断。厚労省などに改善を求めていた。
個人情報が適切に取り扱われているかを判断するには、HER-SYSのデータ項目ごとにアクセスログを提供したり入力対象者からの情報開示請求に対応できたりする機能が必要だ。不正なIDでログインされたりデータが知らぬ間に外部提供されたりしてもチェックできないからだ。
厚労省などは2020年9月に入って港区の要望を受け入れた。同省によると、9月10日のシステム改修で、自治体の申請があればアクセスログを開示する機能を追加した。同時に自治体がLGWAN(総合行政ネットワーク)経由でHER-SYSと個人情報などの重要データをやりとりできるようにする改修方針も示した。
港区がHER-SYSの利用を留保していたのにはもう1つ理由がある。前身のシステムである「感染症サーベイランスシステム(NESID)」に比べて、医療機関や保健所が入力しなければならない項目が格段に増えたからだ。
HER-SYSには新型コロナの感染者らの氏名や住所、生年月日、性別、職業や勤務先、行き先や会った人の行動履歴といった詳細な個人情報を入力する必要があるうえ、感染者以外の個人情報も入力しなければいけない。家族や勤務先同僚といった濃厚接触者だけでなく、PCR検査結果が陰性の人も「疑似症者」として入力対象に加えられたためだ。
HER-SYSに入力されるデータは行政機関個人情報保護法の「要配慮個人情報」に当たる。感染症法の運用現場である保健所などはエイズウイルス(HIV)などの検査については匿名で受けられるようにするなど、検査段階における個人を特定できる情報の取り扱いに注意してきた。
それだけにHER-SYSのアクセスログがチェックできなければ自治体の情報セキュリティーポリシーにはおよそ合致しない。しかも港区には大手外資系企業や各国の大使館なども多い。プライバシー保護や人権に対する意識の高い在日外国人がHER-SYSの個人データの扱い方を問題視すれば国際問題に発展しかねない。
加えて、新型コロナ感染者らに対するいわれのない差別や偏見が社会問題になっている。ところが自治体のなかには、条例で個人情報の取り扱いを審査すると定められた個人情報保護審査会などの承認を得ず、報告だけで済ませて事実上の見切り発車でHER-SYSの利用を始めたところも多かったようだ。
厚労省は2020年9月8日の専門家の会合において、医療機関や保健所のデータ入力の負担を軽減する目的で入力項目を減らす方針を決めた。HER-SYSの入力必須項目はNESIDとほぼ同じになったという。厚労省は今後、PCR検査結果が陰性だった人も入力対象としている点を再検討するという。