消費者の電池に対する不安を払拭するために電池メーカーと機器メーカーは今、何ができるのか。 Liイオン2次電池の基本技術を開発した旭化成の吉野彰氏と、 かつてNTTで携帯電話機の発火事故の調査作業を取り仕切った山木準一氏。 Liイオン2次電池の創成期において 電池技術の進化に大きく貢献した二人に 今後の技術開発のあるべき姿について聞いた。(聞き手=日経エレクトロニクス編集部)

約20年前の1989年。NTTの携帯電話機が発火し、ユーザーがやけどを負う事故がありました。このとき、山木さんは、事故調査に携わりました。
山木氏 私は当時NTTで、携帯電話機向け電池の開発を進めていました。会社の幹部から、「将来の携帯電話機に必要なので、小さな電池を開発してくれ」と言われていましてね。当時の2次電池で最も可能性がありそうだったのが、金属Liを負極に用いる電池(金属Li2次電池)です。世界中の研究者がこの電池の実用化に取り組んでいました。あちこちから、各種の試作品が出回る状況でした。
NTTではそのころの携帯電話機に、Ni-Cd2次電池を純正品として提供していました。そこへ、カナダMoli Energy社から金属Li2次電池の売り込みがあったんです。既にパッケージも、NTTの携帯電話機に合わせて作っていた。これをNTTが承認して、オプション電池として売り始めたんです。当時は出力電圧が現行の半分の2.1V程度で、体積も大きかった。しかし自己放電が少ないということで、かなり人気がありました。
それがある時、燃えてしまった。NTTは当時、Moli Energy社と合弁で電池のベンチャー企業を立ち上げていました。だから我々としては、本当に金属Liが危ないのかをきちんと調べる必要があったんです。どういう条件で何が起こると危険なのか、そのメカニズムを示さなければならない。研究者としても、もう一度金属Liが使えないだろうか、という気持ちが残っていましたから…。だから、多くの研究者が開発を断念した後も調査を3~4年間続け、それを学会などで報告しました。
この調査報告が、吉野さんが開発中だったLiイオン2次電池の実現に大きく貢献したんですね。
吉野氏 そもそも、我々の当初の目的は電池開発ではありませんでした。電気を流すプラスチックとして導電性高分子が登場したことから、その材料研究を開始したのがきっかけです。今から26年前の1981年のことです。材料メーカーの新規事業開拓としてスタートしました。
各種の導電性高分子を扱う中で、ポリアセチレンという材料が、電気化学的にイオンを出し入れする特性があることが偶然分かりました。しかも、その酸化還元電位が4V近くある。これはひょっとしたら、電池の電極材料になるかもしれないと思い、そこで初めて2次電池の業界を調べ始めたという流れです。
当時の学会では、金属Liを負極に使う2次電池の研究報告がほとんどでした。しかし我々の電池は、この負極にポリアセチレンを使うという発想でした。金属Liを負極に適用しようという研究報告の多くは、発熱など安全面で苦労していました。ポリアセチレンを使えばより安全にできるかもしれない、という期待があったんです。
でも、開発は困難続きでした。まず正極材料が見当たらなかった。現在ではコバルト酸リチウムなどが一般的ですが、当時はそういう材料がありません。そんな時、ある海外の研究者がコバルト酸リチウムに関する発表をしました。当時の学会では酷評されていましたが、我々にとってはのどから手が出るほど欲しいものです。それで、正極にコバルト酸リチウムを使うシステムで開発が始まったのです。その後、幾つかの理由から、同じ共役二重結合を利用する炭素材料を負極に使うことになりました。1985年のことです。
その後社内で、本当に実用化できるのかという議論になりました。製品化する以上は、しっかりと安全性を確かめる必要があると…。それで、我々が電池を手作りして、落下試験をしたり、金属Li2次電池と比較したりと、各種の調査を始めました。しかし、明確な電池評価の基準があるわけではなかった。安全性を評価するのが非常に難しかったんです。
ちょうどそのころ、Moli Energy社の電池の事故がありました。我々も非常にびっくりしました。しかも、その原因究明をNTTの研究者が中心となって取りまとめ、学会で報告したんです。
例えば発熱した後、どういう過程を経るのか、そのメカニズムが記載されていました。報告書には、発熱の最後には熱暴走という段階に入り、止められなくなるとも記載されていた。実は我々はそれまで、熱暴走という概念すら知らなかったんです。電池によっては、熱暴走を開始する温度がバラつくことも分かりました。