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早朝に純文学を書き、日中は起業したIT企業の役員を務める「クロステックな作家」上田岳弘氏が「アート&テック」をテーマにアーティストやテクノロジストと語り合う。今回の対談相手は台湾のデジタル担当政務委員(通称デジタル大臣)、オードリー・タン氏。AI(人工知能)などITの進化が続き、人間の活動を代替していったとき、「最後に残る、人がやること」は何か。タン氏の答えは「迷子になること」という、意外なものだった。(構成=谷島 宣之、通訳=大石 有美)

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上田: AI(人工知能)でやれることはAIに頼む。それを続けていったら最終的に人間は何を考えればよいのか。そのことが気になります。何を人間に残して、何をAIに任せるのか。タンさん、何だと思いますか。

タン: 主に考えられるのは迷子になること、迷子だと感じることです。台湾には「ウーニェン(無念)」という言葉があります。「考えない」という意味です。何も考えていないのではなく、心が無になっている夢の中のような状態(revery)、1つの可能性にこだわらず、色々な可能性を広げていく、といったことです。「revery」について考えることが私たちに残るでしょう。

注:「無念」は雑念や妄念が無いという意味。ウーニェンと発音するが「うらめしい」ということではない。

Audrey Tang(唐鳳、オードリー・タン)
Audrey Tang(唐鳳、オードリー・タン)
台湾デジタル担当政務委員。1981年台湾台北市生まれ。12歳でPerlを学び始める。15歳で中学校を中退、プログラマーとしてスタートアップ企業数社を設立。19歳のときに米シリコンバレーでソフトウエア会社を起業する。 2005年、プログラミング言語「Perl6(現Raku)」開発への貢献で注目される。2014年、米アップルでSiriなど高レベルの人工知能プロジェクトに加わる。2016年10月、蔡英文政権の行政院(内閣)に入り、デジタル担当の政務委員となり、部門を超えて行政や政治のデジタル化を進める。2019年、米国の外交専門誌『フォーリン・ポリシー』のグローバル思想家100人に選出。著書に『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』(プレジデント社)がある。(撮影:姚 巧梅)
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上田: なるほどなあ。AIに色々なことを任せていき、最終的に人間は何をすればよいのか、という問いへの回答をまさに直球で小説の一部に入れたことがあります。答えは、人間は永久に悩んでいることができる、というものでした。悩み続ける、これが最終的に我々のやることかなあと。そういう悩みの果てに僕は小説を書いています。

注:「悩み続ける」という答えを書いた作品は『惑星』(『太陽・惑星』(新潮社)に収録)。やや長いが該当箇所を引用する。

「それはね。よく聞いてくれ。今から言うことこそ、君が忘れてしまっていることだ。いや、今まさに君が忘れようとしていることだ」フレデリック・カーソン氏は私の反応を面白がるように、わずかに目を細めている。「いいかい? 君はね、肉の海が見る夢の代表人格なんだよ。つまりあの気色の悪い肉の塊の思考そのものなんだよ。そして君は今、別の角度から結論が出せないか、永い安定の末にそう考え始めている。一つの結論はもう出てしまっていて、これ以上動かしようがなくなってしまったから。だから君は、というかありていにいえば、人類は、もう一度個に戻ることにしたんだ。そのために今忘れようとしているのがそのこと、つまり、君が人間の見る夢の代表人格だということだったんだね。君は今、肉の海に沈んだ人間の記憶から、人間という概念を再構築しようとしている。もはや失ってしまった個とはなんなのか、寿命とはなんなのか、他者とはなんなのか、時間とはなんなのか。透明者っていうんだっけね? 君がわからないと感じる人間のことを。でもかつて人類がプレーンだった頃、自分以外のことはみんなそんな感じのものだったんだよ。君はそうやって一つ一つ検証していき、肉の海から一個の人間に戻ろうとしている。生命の神秘や、自然科学的な事実、芸術の神髄、愛の正体、さっき二人で話し合ったあらゆる定理は全部私が預かっているから、君は安心して個に没して構わないんだよ。全員が透明者になる、元々の意味での個にね。一旦は「虚空に浮かぶ肉の海」としての結論が出た以上、それを超えるだけの結論がもし導き出せたなら、私の側にストックされた真実を使っていつでも肉の海を分解し、理想的な実体に再構成できる。だから、何度でも、ゆっくりやれば良いんだ。君は、「個」と「今」に没していればいいんだ。……

上田岳弘(うえだ・たかひろ)
上田岳弘(うえだ・たかひろ)
1979年兵庫県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、IT企業の創業に参画し、現在は役員を務める。2013年『太陽』で第45回新潮新人賞を受賞しデビュー。2015年『私の恋人』で第28回三島由紀夫賞、2018年『塔と重力』で第68回芸術選奨文部科学大臣新人賞、2019年『ニムロッド』で第160回芥川龍之介賞を受賞。著書に『太陽・惑星』『私の恋人』『異郷の友人』『塔と重力』『ニムロッド』『キュー』がある。(撮影:日経クロステック)
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タン: 「好奇心を持つ」「インタラクション(相互作用)」「公共の善」など、もちろんどれもが良い回答です。ですが、私が話しているのは、良い回答ではなく、良い質問のほうです。

 良い質問を楽しむような状況に自分をジョインさせる。生きている間に答えが出なくてもかまわない。もちろん『万物についての回答が42』だということをみんな知っています。でも、それ以外にも答えはたくさんあります。

注:「万物についての回答が42」はダグラス・アダムスのSF『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出てくる言葉。「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」を問われたスーパーコンピューターが750万年をかけて計算し、出した答えが「42」だった。米文学研究者で翻訳家の佐藤良明氏は「42」の逸話について、カート・ヴォネガットの小説『タイタンの妖女』に出てくる、自身の存在意義をコンピューターに尋ねるシーンのパロディーではないかと指摘している。ちなみに上田氏は影響を受けた本の中に『タイタンの妖女』を入れている。

上田: 悩んでいるときは苦しいだけでなく楽しくもありますよね。

タン: さまよい歩くことは楽しいですね。実際、私たちは迷子です。階段を下りてどこへ行くのか。木に向かって歩くとどこへ到着するのか。私は知りません。

 今もこの自然なシナリオの中で、話す内容が決まっていないまま、迷子になっています。つまり私たちはよく分からない状況に置かれているわけですが、楽しいですし、美しいことだと思います。