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 僕が愛読する『銀河英雄伝説』(田中芳樹著)にはよく「後世の歴史家によれば」というフレーズが出てくる。例えば作中の不敗の名将、ヤン・ウェンリーについて。「後世の歴史家によれば」、彼は一貫して政治的な野心を持たず一軍人であることにこだわった、などなど。

 人は言葉を持ち、言葉は物語を生んで、いつしか歴史をつむぐようになる。我々は過去の人びとにとっては「後世の歴史家」であり得る。後世の歴史家である我々は、歴史の節目節目に大きな人物が現れて、時代を変えていったというように語ることもできるし、あるいは逆にすでに世界にいた人物が状況によって浮かび上がってきたと分析することもできるだろう。

 そのどちらが正しいとも言えないけれど、僕はどちらかといえば、後者の見方が強い。ある特定の条件下で、その人物が浮かび上がってきたのであって、時代が違えば彼または彼女は何の足跡も残らなかったということもあり得るだろう。

 拙著『私の恋人』(新潮文庫)において僕は、人類がまだ文字を持たなかった10万年前に理想の恋人を思い描きながら転生を繰り返すSF的な語り手を設定し、人類史と個人史とを重ねる試みをした。とても頭の良いその語り手は、10万年先の未来、つまり現代までを精緻に想像したが、周囲の原始人たちはまともな言葉も、もちろん文字も持たない。語り手は、一人、真夜中に目を覚まし、洞窟の中で、自分で生み出した、自分しか解読できない文字を孤独に書きつける。歴史とも呼べないような、あやふやな黒い塊のような人間たちのうごめきの中にその存在は埋没する。そういうことだってもちろんある。

 我々は今や文字を持ち、歴史を持ち、ITを持ち、他者の考えや経験したことをたちどころに共有する術を持つ。これまで切り捨てられていた小さな声を集め大きなうねりを作ることもできそうだし、経験が浅く、それ故に天然に世界を体現しているはずの若者から世界の要請するものを感じ取ることもできそうだ。

 ――できそうだが、けれどそれは簡単なことではない。社会は慣性にのっとって進んでいくものだし、その圧は強い。それでも社会の節々でアップデートの材料はそろっていっていた。そんな世界の変化を体現するような人物が浮かび上がってくる。必然的に。

 きっとオードリー・タン氏の活躍を目にした誰もがそんな風に感じたはずだと僕は想像する。新型コロナという、とても現代的な疫病を封じ込めた施策で世界から注目を集めた氏が語る一つひとつが実に鮮烈に僕の目に映る。

 30代の現役の閣僚であり、トランスジェンダーであることを明かす氏は、「誰もがマイノリティーである」と言う。確かにそうかもしれない。全員がマイノリティーとして、協調的に世界を構築できること。疫病の蔓延で、物理的に分断された我々が求めるこれからの世界像はそういったものではないか。

 少なくとも我々は、後世の歴史家の目を想像できるほどには理知的で、共有可能な言葉と文字を持ち、これまでになく密に地球規模で対話できるようになっている。世界を更新する準備は整っていて、おそらく「後世の歴史家によれば」我々は時代の節目に立っているに違いない。

オードリー・タン氏との対話に向けて

 このたび、本連載の一環で、オードリー・タン氏と対話する機会をいただいた。この連載は「テック&アート」をテーマにアーティストやテクノロジストの方と突っ込んだ話をするというものだ。今は政治の世界に身を置いているが、プログラマーであり、詩作も手掛けるタン氏との対話を楽しみにしている。

 タン氏の新著『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』(オードリー・タン著、プレジデント社)に編集協力をしたランカクリエイティブパートナーズの渡辺智也氏によれば、タン氏の主な関心は社会のこれからにあるという。

 一方、タン氏は「シェア」「コラボレーション」「プルラリティ(多元性)」が大事だと語っている。そこで日経クロステック読者の皆さんに協力をお願いしたいと思いついた。氏に尋ねてみたいことをお持ちの方は次の回答ページから知らせていただけるだろうか。よろしくお願いします。

質問を募集します

 日経クロステックではオードリー・タン氏への質問を募集します。以下のリンクから質問をお寄せください。締め切りは2020年12月25日です。

[アンケートは終了しました]