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 「社会変革のためにDX(デジタル変革)を進めるべきだ」――。ポストコロナを巡る社会に向けた提言には、こうした声が多い。DXは気軽に語るのがはばかられるほど重いテーマであり、経験も求められる。だが、DXに関する質問を受けることが多くなるなかで、初歩的な理解を促すことも有益ではないか、とも感じている。

 世の中にはDXについて様々な解釈がある。筆者は、「電子化」と「DX」をフェーズとして分け、両方を合わせて「デジタル化」と表現するのが説明しやすい。

 電子化は、例えば紙の契約書をPDF化する行為に等しい。一方のDXは、煩雑なPDFのやり取りを止めて電子契約ツールを用いるなど、仕事のやり方そのものを変える要素が含まれてくる。結果として、PDFファイルの保管手続きがいらなくなったり、契約書の内容を検索できるようになったりし、生産性の向上に一役買うことになるわけだ。

 ここまでは初歩的なDXであり、そのステップには先がある。もし電子契約ツールを大多数の人が使う状態になれば、もはやツールのなかにある情報だけを共通化してやり取りした方が効率的だ。一般にEDI(電子データ交換)と呼ばれるもので、製造業の現場など反復的な経済取引が定着している産業において、業界をあげた「カイゼン」活動の結果として生まれた仕組みだった。何もDXなどとたいそうな表現を使わずとも、以前から運用されてきたものである。

 本稿では、もう少し先の世界までお付き合いいただきたい。

 EDIが特定の産業内での取引だけでなく、様々な経済活動で利用されるようになったと仮定しよう。多岐にわたる種類のデータが集積した先には、注文者ごとの傾向を個別に機械学習で予測したり、生産を自動調整したり、さらには経済活動の割り当てをもコンピューターが自動判定したりする世界が待っている。

 こうした世界観は米グーグルや米アマゾンのようなビッグテックが実現しつつあるとの見方もあるが、アルゴリズムが様々なことを勝手に決めてしまうのであれば、平等性や倫理性などの基準が問われ始める。同じDXといっても、この段階になると我々の想像を超えたものだと言えるかもしれない。

 さらにDXの向こう側には、自動化された意思決定プラットフォーム同士が連携し、人間が制御できない仕組みとして社会を動かしていく可能性もある。一般にディストピアとして語られる世界だが、その未来が果たして暗いものか、あるいは予想に反して明るいものなのか。その答えは、今のところ誰にも分からない。