2019年11月、囲碁界に激震が走った。韓国トップの棋士、イ・セドル九段が36才にして引退を表明したのだ。
聯合ニュースの取材に、引退の理由について「人工知能(AI)の登場で、死に物狂いで第一人者になっても最高ではないと分かった。どのみち勝てない存在がある」と語った。同氏は2016年に米グーグル系の英ディープマインドの囲碁AI「AlphaGo」と対局し、1勝4敗で敗北している。
囲碁AIは、世界の囲碁界を大きく変えつつある。中国のプロ棋士は囲碁AIの打ち筋をまねる手法で、世界の棋戦で勝利を重ねている。日本でも、囲碁AIを「相棒」に研究を重ねる若手棋士の活躍が目立ってきた。
自己学習を重ね、既に人類のはるか上に立つ囲碁AI。プロ棋士として囲碁AIとどう向き合うか。囲碁AIをいち早く活用したことで知られる上野愛咲美女流本因坊と大橋拓文六段に話を聞いた。
囲碁AIを日本のプロ棋士が研究に使うようになって1年半ほどたちますが、使い方はどう変化しましたか。
大橋氏 上野さんをはじめとする10代の棋士は、今では囲碁AIを使うのが当たり前になっていますね。20代も多くの棋士が囲碁AIに触れています。
囲碁AIの実行環境としてどのようなITインフラを使っているのでしょうか。
大橋氏 Amazon Web Services(AWS)のようなクラウドを使う棋士もいれば、高性能のGPUマシンを自ら購入している棋士もいます。
まず従量課金型のクラウドで囲碁AIを使ってみて、公式戦の振り返りで週1回使うだけならそのままクラウド、囲碁AIで毎日何時間も勉強するようならマシンを買う、といった判断をする棋士が多いですね。若手棋士はだいたい使い方のリズムがつかめてきた感じですが、その点で最先端を行くのが上野さんです。
おお、そうなんですか。上野さんの囲碁AIの実行環境を教えてください。
上野氏 半年前からGPU搭載マシンを買って家に置き、リモートで使っています。棋院の勉強会にノートパソコンを持っていき、対局後にすぐリモートで囲碁AIを開いて検証する、といった使い方ですね。
大橋氏 上野さんは当初AWSを使っていて、他の棋士が導入しやすいようにAWSのマニュアルも作ってくれたのですが…。上野さんは毎日7~8時間は囲碁AIを使っていますから。
上野さんが使っている囲碁AIソフトは?
上野氏 「ELF OpenGo」です。
大橋氏 上野さんは「ELF」派なんですね。
え、○○派ってあるんですか。
大橋氏 何となく、棋士の打つ手でどのAIを使っているか分かりますから(笑)。
上野氏 ただ、ELFの「v1」をずっと使っている人は結構珍しいかもしれません。私の他は見たことがないです。
ELF OpenGoを使い始めたのはいつぐらいからですか。
上野氏 1年以上たちますね。最初にAWSで囲碁AIを使い始めたのが2018年夏で、その直後にELF v1が公開されたので。
大橋氏 囲碁AIソフトの種類にもよりますが、多くの若手棋士は最新バージョンの「より強いAI」に乗り換えたがりますが、上野さんは同じバージョンを長く使っているんです。
同じく囲碁AIの「Leela Zero」は1カ月に5~10回ぐらい更新しており、2017年10月に公開が始まって以来延べ250種類以上のバージョンがあります。ただ、打ち筋そのものはどのバージョンも大きく変わりません。
一方、フェイスブックが開発しているELFは、まだバージョンが「v0」「v1」「v2」の3種類しかない。最新バージョンほど強くなってはいますが、それ以上に打ち筋が大きく変わりました。「全然違う」と言っていいほどです。このため、ELFは棋士の好みでバージョンを選んでいる人が多いです。