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宇宙飛行士を目指して飛び込んだ宇宙開発の世界から大学教授へ転身。神髄を学んだシステムエンジニアリング手法で農業などの変革に取り組む。数々の実践を重ねながら、「宇宙IoT」の可能性を広げようとしている。

(写真:陶山 勉)
(写真:陶山 勉)
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 「宇宙に行ってみたい」――。そんな夢を抱いて宇宙航空研究開発機構(JAXA)の扉をたたいた男は今、大学教授として「宇宙IoT(インターネット・オブ・シングズ)」とでも言うべきプロジェクトを自ら推進する。

 慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の神武直彦は、人工衛星による地球観測など宇宙発のデータを様々な領域の変革に生かすプロジェクトに取り組んでいる。

 一例が畜産業での試み。鹿児島県の酪農家と連携し、耕作放棄地を活用した牛の放牧に取り組む。草の状態を衛星リモートセンシングで把握。GPS(全地球測位システム)で確認した牛の位置情報と組み合わせ、草を食べ尽くす期間などを予測して放牧計画を立てる。インドやカンボジアでは農業従事者に金融サービスを提供するための信用評価に宇宙IoTを活用する。衛星データから農地の作付状況を、スマートフォンの位置情報から農業従事者の作業状況を計測する。加えて、蓄積された過去10年単位の衛星データを自然災害リスクの予測にも活用している。

「宇宙開発のDX」を経験

 神武が宇宙への憧れを抱いたのは幼少の頃。父親から宇宙開発事業団(現JAXA)のパンフレットをもらったのがきっかけだ。慶応大理工学部に進学後、同学部のラグビー部に所属。同部のOBで後に宇宙飛行士となる星出彰彦に出会ったことが、神武の宇宙への憧れを「宇宙飛行士」という明確な夢に変えた。星出が働くJAXA筑波宇宙センターに何度も足を運んだ神武は、大学院修士課程を経てJAXA職員となる。

 JAXAではH-ⅡAロケットの開発や打ち上げなどに従事する傍ら、宇宙飛行士になる夢を育てた。人工衛星や宇宙ステーションに関する国際連携プロジェクトにも参画し、2007年には欧州宇宙機関(ESA)に派遣された。そこで神武はシステムエンジニアリングの神髄を学んだという。

 「17カ国の文化の違う人々が協力して衛星や宇宙ステーションを開発していた。10年後も使い続けることを前提にどのような機能が必要かを明確にし、全体を統括してプロジェクトを進める。システムエンジニアリングが機能しているのを目の当たりにした」。

 システムエンジニアリングはIT分野では知られているが、日本の宇宙開発では長らく導入が遅れていた。ロケット開発も当初は「匠(たくみ)の世界」。プロジェクト管理手法などは形式知化されておらず、ITの活用も進んでいなかったという。ちょうど神武がJAXAに所属していた頃、JAXAもシステムエンジニアリングの導入やIT活用を進めていた。「宇宙開発のDX(デジタル変革)を経験したようなもの」と神武は振り返る。

 そして2008年、神武は宇宙飛行士候補者選抜試験に挑む。だが、宇宙飛行士への夢はかなわなかった。