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エッジコンピューティング事業に取り組むVieureka(ビューレカ)。パナソニックで初めてのカーブアウト(事業の切り出し)によって誕生した。ソフトウエア技術者として事業を立ち上げた宮崎秋弘が目指す未来とは。

(写真:陶山 勉)
(写真:陶山 勉)
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 Vieurekaはパナソニック史上初めて同社からカーブアウト(大企業からの事業切り出し)して立ち上げたベンチャー企業だ。ハードウエアを中心にした事業が多いパナソニックだが、ソフトウエア技術者が一から構想して事業化にこぎ着けた。その技術者こそがVieurekaを率いる宮崎秋弘だ。

 VieurekaはIoT(インターネット・オブ・シングズ)カメラとエッジコンピューティングによる画像認識AI(人工知能)、クラウドを組み合わせたプラットフォームを提供する。さらに小売りなら来店客の属性分析、介護施設なら見守り機能など、用途に応じたアプリを開発して導入する。2017年6月に事業を開始し、2022年7月に独立した。

「会社の方針に逆らっている」

 宮崎は1995年にパナソニックに入社し、携帯電話などの通信方式の検討やデータ通信用ソフトの開発を担当する部署に配属された。入社2年目からは自ら新しい通信規格の開発に取り組んだ。テレビ電話の先駆けとなる製品の開発にも携わり、自身が開発した通信規格を国際標準化団体のIETF(Internet Engineering Task Force)に提案し標準化するなど実績を重ねた。

 だが30歳あたりから「不遇の時代」を迎える。当時のパナソニックは、ハードを起点に製品開発を考える社風だった。ハード開発者を頂点とする序列が存在したという。「ソフト開発者はハード開発者の言うことを聞いておけばよいという雰囲気があった」と宮崎は当時を振り返る。

 そんなとき携帯電話市場の激変が始まる。iPhoneなどに取って代わられ、パナソニックの1兆円規模の携帯電話事業が蒸発していった。時を同じくして、ハード重視の他の事業も衰退の危機を迎えていた。「ハードの時代を戦ってきた人が考え方を変えるのは難しい」と理解しつつも、「モノからコトへ」の事業転換の必要性を痛感した。

 そこで考え付いたのがVieurekaの元となる構想だった。2008年に研究開発部門の課長として参加した社内研修会で構想を発表した。結果、宮崎は「身内」からも批判を受けることになる。

 宮崎が所属するソフトの研究開発部では当時、センター集中方式でデータを処理する時代が来るというコンセンサスを基に研究開発を進めていた。エッジでデータを処理する宮崎の構想とは相いれない。「宮崎は会社の方針に逆らっている」と批判が上がった。