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【3月5日 AFP】デンマークの首都コペンハーゲンから北西に約400キロ、ロルドの森(Rold Forest)の奥深くに隠れていた冷戦(Cold War)時代の広大な核シェルターが、先月から博物館として初めて一般公開されている。内部はまるでタイムカプセルのようにすべてが当時のまま残っている。

冷戦時代に作られたデンマークの核シェルター「リーガン・ウエスト」の廊下を歩く学芸員で歴史家のボーディル・フランゼン氏(2023年2月6日撮影)。(c)James BROOKS / AFP
冷戦時代に作られたデンマークの核シェルター「リーガン・ウエスト」の廊下を歩く学芸員で歴史家のボーディル・フランゼン氏(2023年2月6日撮影)。(c)James BROOKS / AFP
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 この地下シェルターはソ連の核実験やキューバ危機を受け、北大西洋条約機構(NATO)の強い勧めで1963~68年に建設された。「リーガン・ウエスト(Regan Vest)」と呼ばれ、核戦争が起きた際、政府機能と君主を30日間置く想定で設計された。

冷戦時代に作られたデンマークの核シェルター「リーガン・ウエスト」のマップルーム(2023年2月6日撮影)。(c)James BROOKS / AFP
冷戦時代に作られたデンマークの核シェルター「リーガン・ウエスト」のマップルーム(2023年2月6日撮影)。(c)James BROOKS / AFP
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 館長のラース・クリスティアン・ノルバッハ(Lars Christian Norbach)氏は、デンマークの民主主義の「最後のとりで」となるはずの場所だったとAFPに語った。

冷戦時代に作られたデンマークの核シェルター「リーガン・ウエスト」の前に立つ学芸員で歴史家のボーディル・フランゼン氏(2023年2月6日撮影)。(c)James BROOKS / AFP
冷戦時代に作られたデンマークの核シェルター「リーガン・ウエスト」の前に立つ学芸員で歴史家のボーディル・フランゼン氏(2023年2月6日撮影)。(c)James BROOKS / AFP
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 「水爆は、核攻撃の際の対処方法を完全に変えてしまった」と、博物館の学芸員で歴史家のボーディル・フランゼン(Bodil Frandsen)氏はAFPに語った。「それまでの地下壕(ごう)では爆風に耐えられない。だから新しいものが必要だった」

 原子力災害が発生した場合、政府の存続は国家の主権にとって不可欠だと同氏は説明「少なくとも国の一部の支配を主張できる政府がある限り」、主権を持つ民主国家としてデンマークは存続できると語った。

冷戦時代に作られたデンマークの核シェルター「リーガン・ウエスト」のマップルーム(2023年2月6日撮影)。(c)James BROOKS / AFP
冷戦時代に作られたデンマークの核シェルター「リーガン・ウエスト」のマップルーム(2023年2月6日撮影)。(c)James BROOKS / AFP
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冷戦時代に作られたデンマークの核シェルター「リーガン・ウエスト」の内部(2023年2月6日撮影)。(c)James BROOKS / AFP
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冷戦時代に作られたデンマークの核シェルター「リーガン・ウエスト」の内部(2023年2月6日撮影)。(c)James BROOKS / AFP
冷戦時代に作られたデンマークの核シェルター「リーガン・ウエスト」の内部(2023年2月6日撮影)。(c)James BROOKS / AFP
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