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 金融×ITの専門誌「日経FinTech」2019年9月号に掲載した特集「KYCの夜明け」を再掲する。スマートフォンなどデジタル手段による本人確認「eKYC」が、使い勝手の良い新たな金融サービスを生み出す原動力になっている。

 「ちょうど良いタイミングだった」。富山県の北陸銀行でデジタル戦略部主任を務める斎藤雄太氏は、同行がスマートフォンアプリ「口座開設&お手続きアプリ」で採用した「eKYC(Know Your Customer)」機能についてこう振り返る。

 北陸銀行がオンラインで口座を開設できる新アプリの開発を検討していたのは2018年夏ごろ。同じ時期に、オンライン上で本人確認を完結するeKYCを可能にする犯罪収益移転防止法(犯収法)改正の議論が進んでいた。

 eKYCを採用すれば、本人確認業務で必要とされていた転送不要郵便の送付などが不要になり、顧客の利便性は高まる。北陸銀行は改正犯収法のパブリックコメントの段階で、アプリにeKYCの機能を載せる方針を決定。2018年11月に同法が施行された後は「警察庁や金融庁に確認しつつ、実装作業を進めた」(斎藤氏)。

 結果的にアプリの提供を始めたのは2019年2月。eKYCに対応したサービスを金融機関として、いち早くリリースした。

 北陸銀行の後を追うかのように、三菱UFJ銀行やセブン銀行などの金融機関、LINE Payやメルペイなどのスマートフォン決済事業者、Liquidやショーケースなどの事業者が一斉にeKYCの採用に乗り出した。

 「利用可能なサービスが数多く登場している。使わない理由はない」。アルトア社長の岡本浩一郎氏はeKYCについてこう言い切る。同社は2019年8月にオンライン融資サービスでeKYCを導入。申し込みから即日で融資ができるようにした。従来は郵送による本人確認をしていたため、最短でも2日かかっていた。eKYC対応のアプリや本人確認サービス基盤を提供するTRUSTDOCKのサービスを採用した。

 eKYCをはじめとする本人確認サービスなどを提供するACSiON(アクシオン)CEO(最高経営責任者)の安田貴紀氏は「本人確認の仕組みは様々な場面でニーズがある」と期待を寄せる。ACSiONはセブン銀行と電通国際情報サービス(ISID)が2019年7月に設立した新会社だ。セブン銀行の次世代ATM(現金自動預け払い機)を利用した実証実験の成果を生かしつつ、eKYCを活用した新事業に挑む。

顧客の「苦痛」を取り除く

 金融機関や事業者が、なぜeKYCに熱い視線を注ぐのか。主にスマホを活用したオンライン金融サービスにおいて、利便性を妨げる最大のネックと言える「本人確認」の作業を効率化できるとの期待が大きいからだ。

 犯収法は銀行や資金移動業者、仮想通貨交換業者などの特定事業者に対して、取引相手や内容の確認、記録の保持を義務付けている。マネーロンダリング(資金洗浄)などを防ぐためだ。

 犯収法の改正前は非対面取引の場合、本人確認のために公的に発行された「写真付き本人確認書類の写しの送付」と「転送不要郵便による住所確認」が必要だった。利用者が「オンライン金融サービスをすぐに利用したい」と思っても、郵便でやり取りしなければならない。顧客にとって手間がかかる上、申し込み手続きの途中で諦めてしまう可能性もある。

 北陸銀行の場合、「Webで口座開設を申し込んでからキャッシュカードが届くまで短くても1週間、取引制限なしで口座が使えるようになるまでに2週間以上かかることもあった」(斎藤氏)という。こうした本人確認作業の複雑さは「顧客のペインポイント(苦痛)となっていた」(アルトアの岡本氏)。

 本人確認に手間がかかっていたのは口座開設などに限らない。スマホ決済事業者は従来、銀行口座を登録する方法で本人確認をすることが多かった。その際に利用者は各社のサービス画面から口座を保有する銀行のWebサイトに移り、各銀行が求める情報を入力する必要があった。

 ただでさえ手順が複雑な上、必要な情報は銀行ごとに異なる。LINE Payプロダクト室室長の池田憲彦氏は「以前は、銀行登録による本人確認のプロセスから離脱する利用者の割合が6割に上っていた」と証言する。

 改正犯収法はこうした本人確認をオンラインで完結しやすくして、作業の複雑さや手間の多さを減らすことを狙っている。施行規則の一部を改正し、4種類の方式でeKYCを可能にした。

 1つめは専用ソフトウエアを使って身分証および容貌を撮影する方式だ(施行規則六条一項「ホ」)。北陸銀行のほか、LINE Payやメルペイがこの方式を使用している。

●北陸銀行が採用した口座開設におけるeKYCの流れ
●北陸銀行が採用した口座開設におけるeKYCの流れ
(画面提供:北陸銀行)
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 2つめは専用ソフトで身分証のICチップを読み取ったうえで容貌を撮影する方式(同「へ」)。残りの2つは、専用ソフトで身分証の撮影かICチップの読み取りをしたうえで、銀行やクレジットカードの情報と照会するか(同「ト(1)」)、銀行口座に振込をする方法である(同「ト(2)」)。三菱UFJ銀行は「ト(1)」の方法を採用した。

●犯罪収益移転防止法の施行規則改正で可能となったeKYCの新手法
●犯罪収益移転防止法の施行規則改正で可能となったeKYCの新手法
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 改正犯収法ではeKYCの方式を加える一方、郵便を利用する従来方式の手続きを厳重化した。例えば2020年4月から現行法の「本人確認書類の写し1点の送付+転送不要郵便」が認められなくなり、「本人確認書類の写し2点の送付+転送不要郵便」「本人確認書類の原本の送付+転送不要郵便」などのいずれかが必要になる。

 犯収法の対象事業者は今のうちにeKYCに対応しておかないと、顧客の「痛点」をさらに広げかねない。各社がeKYCに挑むのはこうした事情もある。