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 2020年東京五輪・パラリンピックを機に都市整備の進んできた東京で、公園施設と都市開発の連携は今後どこに向かうのか。元国土交通省公園緑地・景観課長で、公園活用の施策に関するスペシャリストであるSOWING WORKS代表の町田誠氏に、グリーンインフラや都市緑化技術の基礎となる公園の在り方の将来像を聞く。

町田 誠氏
町田 誠氏
まちだ まこと 1959年東京都生まれ。82年に建設省(現国土交通省)入省以来、公園緑地関係を専門とし、本省勤務のほか、各地方の国営公園などの整備管理に携わる。東京都建設局公園緑地部長、国土交通省都市局公園緑地・景観課長などを歴任した後、2018年7月に国土交通省退職。18年12月にSOWING WORKSを設立し、現在に至る(写真:日経アーキテクチュア)

 1964年の東京五輪では、さまざまな社会インフラの一部として公園の整備も進みました。第二会場としての駒沢公園や選手村だった代々木公園、渋谷の宮下公園もその頃できたものです。

 今回と比較すると当然、時代環境の違いがあります。当時の都立公園を数えてみると15カ所で、広さの総計はおそらく200~300ヘクタール。それが現在は、82カ所で2000ヘクタールを超えています。ストックとして8~10倍はあるということです。しかも、この数字には港湾局の管轄となる海上公園の38カ所を含んでいません。海上公園は300ヘクタールあり、水域を含めると800ヘクタールという面積になる。

 この海上公園という概念は、他の自治体では港湾緑地と呼ばれるもので、一般には港湾関係者や旅行客などに限定した使われ方を想定した空間として整備されてきたものです。ところが東京都は、国が港湾緑地を制度化する前、1970年に「海上公園」と名付け、都市公園とは別に臨海部に設ける構想を描いたんですね(「東京都海上公園構想」策定)。当時の東京都の役人の先見の明には驚かされます。独自に条例化された結果、都市公園法の枠から外れた運用のできる場所になっています。

臨海部に広がる公園空間

 今回の東京2020大会の会場なども含めて都市整備の動向を見渡すと、全体の重心が内陸から臨海部、そしてさらにその先に移っていることが分かります。

有明側の上空から台場・青海方向を見る(19年11月撮影)。有明テニスの森と東京ビッグサイトの中間辺りから、西側(写真奥)の潮風公園の手前までをオリンピックプロムナード(シンボルプロムナード公園)と位置づけている。聖火台や青海アーバンスポーツパークと共に整備する(写真:ITイメージング)
有明側の上空から台場・青海方向を見る(19年11月撮影)。有明テニスの森と東京ビッグサイトの中間辺りから、西側(写真奥)の潮風公園の手前までをオリンピックプロムナード(シンボルプロムナード公園)と位置づけている。聖火台や青海アーバンスポーツパークと共に整備する(写真:ITイメージング)
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「東京都海上公園計画の変更(案)」(17年5月・第92回東京都港湾審議会資料)より。2020年東京五輪・パラリンピック競技大会を機とする施設整備などを前提に見直しを図っている。赤色が17年に示された計画変更区域(資料:東京都)
「東京都海上公園計画の変更(案)」(17年5月・第92回東京都港湾審議会資料)より。2020年東京五輪・パラリンピック競技大会を機とする施設整備などを前提に見直しを図っている。赤色が17年に示された計画変更区域(資料:東京都)
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 1964年のときのように新たに整備された都市公園などはないのですが、海上公園のストックというものが非常に利いていて、仮設会場や選手村などを受け止めることができている。これは海上公園構想という50年くらいの地道な仕事が、成果を上げたと感じています。当時既に、港湾機能に供するという視点だけではなく、人が過ごす場所、都市の装置として海上公園を位置づけていたからできたことです。