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 陸上競技のスパイクシューズは、東京オリンピックを契機に、その姿を変えるかもしれない。現在はソール(靴底)に金属ピンを取り付ける製品が主流だが、このピンを不要にするシューズが登場したのだ。ソールの素材にCFRP(炭素繊維強化プラスチック)*1を使う。形や高さの異なる六角形のハニカム構造を、ソール上にいくつも並べている(図1)。

図1 ピンの無い陸上シューズ
図1 ピンの無い陸上シューズ
ソール(靴底)を見た様子。桐生選手に提供した専用モデル(左)と、その基になったプロトタイプ(右)。形や高さの異なるハニカム構造がいくつも連続して並ぶ。(写真:日経ものづくり)
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*1 特殊な樹脂材料とカーボン繊維を用いたという。詳細は明らかにしていない。ただしカーボン繊維については、丸い断面の原糸について、薄く広げる「開繊(かいせん)」の工程を経たという。

 開発を進めるのは、陸上の桐生祥秀選手にスパイクを提供するアシックス。桐生選手がこの「ピンなしシューズ」を身に着け、東京オリンピックの舞台に立つ可能性もある*2

*2 アシックスはこのピンなしシューズを「次世代の陸上スプリントシューズ」とする。プロトタイプを2018年5月に発表した。桐生選手に提供したシューズは、このプロトタイプを基にしている。

「地面と人とのインタフェース」

図2 アシックスの谷口憲彦氏
図2 アシックスの谷口憲彦氏
同社スポーツ工学研究所フットウエア機能研究部デジタル設計技術開発チームマネジャー。(写真:日経ものづくり)

 陸上シューズの役割は、地面をきちんと捉えて、選手の走る力を余すことなく伝えることにある。「いわば地面と人とのインタフェース」─。同社スポーツ工学研究所デジタル設計技術開発チームマネジャーの谷口憲彦氏は、その設計思想をこのように語る(図2)。

 選手の足裏に注目すると、地面に大きく力を伝える部分と、そうでない部分がある。金属ピンは、この力を伝える部分だけに、必要な形のものを必要な数だけ取り付けることが理想だ。地面との摩擦を生み出しつつ、不要なピンを除くことで、軽くできるからだ。しかし、ピンの本数は簡単に増やせるものではなく、その位置や形状も、自由に変更しにくかった。

 そこで、ハニカム構造とソールを一体化した部品を、CFRPのプレス成形によって造った。このハニカムが地面を捉える役割を果たす。特徴的なのはその外観だ。足裏の指や踵、土踏まずといった位置によって、個々のハニカムの高さや形が異なる。金属ピンでは難しかったことだ。どのようにして、この構造に行き着いたのだろうか。

「刺さる感覚」を無くす

 開発の歴史は、およそ10年前まで遡る。軽量化のため、まずはピンを用いる構造はそのままに、ソールの素材をCFRPに変える手法を試した(図3)。その中で、選手から「ピンが地面に刺さるように感じることがある」との声が寄せられたという。地面と垂直に摩擦が生じているのであれば、それは選手が足を動かす時に、無駄な抵抗となってしまう。

(a)
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(b)
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図3 陸上スパイクシューズのソール
一般的な陸上スパイクシューズ(a)のソールをCFRPに置き換えた試作品(b)。写真(a)はピンの抜けた部分がある。(写真:日経ものづくり)

 ここで谷口氏らは、「水平方向の摩擦さえあれば、ピンを地面に突き立てる必要が無いのでは」との着想に至った。ピンなしシューズの開発は、2015年夏頃から始めた。試作したのは、CFRP製のソールにアルミ製のハニカムを貼り付けたシューズである(図4)。薄いアルミの壁から成る六角形が、平面に連続して並ぶ構造だ。航空機などで採用されるハニカムサンドイッチパネルからインスピレーションを受けたという*3

図4 アルミ製のハニカム構造を使った試作品
図4 アルミ製のハニカム構造を使った試作品
よく力の掛かる部分はハニカムの縁が折れ曲がり、写真では白っぽく見えている。(写真:日経ものづくり)
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*3 ハニカム構造を2枚の板で挟んだハニカムサンドイッチパネルは、質量当たりの剛性が強く、航空機やロケット、鉄道車両の構造材として使われることがある。

 このシューズの性能は上々だった。「試着した選手から、滑らないと評判になった」(谷口氏)のだ。さらに、このシューズを使用後に観察したところ、新たな知見も得られたという。ソールに貼り付けたハニカムを見ると、地面とよく接して力が生じたと思われる部分と、そうでない部分があったのだ。