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コロナで炎上、それ本当?~計算社会科学でSNSデマを解き明かす! 6/3 18時

 プログラミングをはじめとする実装技術を学ぶのは実に楽しい。それまで使えなかった技術を使えるようになる喜びは何物にも代えがたい。筆者は50代のプログラマーである。これまでの経験を振り返ると、自分の道具箱の中身が充実していく実感はソフトウエア開発者としての職業人生がもたらす至福の1つだと言い切れる。

 本連載の読者の大半はソフトウエア開発に携わる技術者だろうから実装技術を学ぶことの大切さや楽しさはよく分かっておられると思う。ただし皆さんはご自分のそういった「技術親和性」が意外な陥穽になり得ると気付いておられるだろうか。技術親和性は技術者にとって無条件に良いものとみなされているためか、それがもたらす負の側面はほとんど語られることがない。

 実装技術の学び過ぎがもたらすある種のリスクについて、今のうちに知っておいたほうがいい。何のためか。ソフトウエア開発という魅力的な仕事を、50代、60代になっても誇りを持って楽しみ続けるためだ。

「実装オジサン」の厳しい現実

 「ずっとプログラミングだけに関わっていたい」と望む若手技術者は多い。彼らの多くは他人と丁々発止のやりとりをするよりも、独りでコードに静かに向き合うほうを好む誠実な人々である。実際、人付き合いに苦手意識があったゆえにこの世界を選んだと語る技術者が少なくない。対人能力や身体上の制約があっても適性さえあれば活躍できる。それはソフトウエア業界が誇っていいことである。

 しかし本当に残念ではあるのだが、プログラミングだけで満足に活躍できるのはせいぜい30代前半までと考えたほうがいい。40歳を超えたら、まず新しい技術を学ぶ能力については若手にかなわなくなる。若いころはあれほど自主的に楽しんでいた技術の学びが強制にしか感じられなくなる。老眼も始まる年齢で若手と伍(ご)しつつ、学習に必要な理解力や意欲を維持するのは容易ではない。

 もっと厄介な問題が他のプロジェクトメンバーや同僚との関係だ。若いメンバーに対して年長であることの価値を示さねばならない。それができないとしたら馬齢を重ねただけの「実装オジサン」として煙たがられかねない。そもそも年長であるだけでプロジェクトにお呼びがかかりにくくなるという現実もある。

 結局のところ、「ずっとプログラミングだけに関わっていたい」といったナイーブな望みは良くも悪くも「若者だけに似合う服装」のようなものだ。それが似合わなくなる年齢に誰もがいつかは達する。

 米国には60~70代の現役プログラマーがいるとよくいわれる。日本においても70歳に近いプログラマーが筆者の⾝近で活躍しており、IT勉強宴会のメンバーにもなっている。日本で高い給与を得て周囲からリスペクトされている年配プログラマーには共通点がある。彼らはまさに年長であることの価値をプロジェクトに提供できている。

 「年長であることの価値」とは何か。これはもう明らかで「ソフトウエアに関する豊富な知見」、そして、それらと統合された「ソフトウエアの適用分野に関する豊富な知見」である。

 例を挙げよう。読者の多くが棲んでいるはずの「企業情報システム」の世界はまさに「ソフトウエアの適用分野」の1つだ。そしてこの分野の専門性には、簿記を含む豊富な業務知識、そして曖昧な要望を具体的な設計仕様に落とし込むためのスキルなどが含まれる。

 それらの知見を有する開発者であれば本連載の前回記事で紹介した「花束問題」など軽々とモデリングして実装してしまう。それくらいの実力がなければ、年配プログラマーがプロジェクトで重用されるのは難しいということでもある。