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 沖縄に生まれたのだから沖縄に住み、沖縄の会社や団体から直接請け負って情報システムをつくりたい。並行して新しい技術を積極的に取り入れ、できれば全国で使ってもらえるソフトウエア製品をつくってみたい。

 「沖縄」のところをご出身地に置き換えていただければ同様の思いを抱く読者の方もおられるのではないだろうか。

 だが沖縄でこの夢を実現することは簡単ではなかった。私は沖縄県宜野湾市に本社を置くジャスミンソフトという小さなソフト開発会社を2001年に起業し、地元の案件を直接受注し、なんとか黒字で開発する取り組みを続けてきた。

 試行錯誤のうちに、開発工数の見積もりの精度を上げるのではなく、ある固定金額で受注し、その中で何度でも改修できる受託開発が沖縄に合っているという結論に至った。そのために今でいうローコード開発ツールを自作し、さらに外販するようになった。

大型案件は大手IT会社が押さえている

 20年前、沖縄県内の情報システム開発市場はおおむね次のように区分できた。

予算10万円から100万円以下:多くの会社や団体でExcelのマクロを駆使したシステムやAccessを使ったシステムが乱造されていた。計算を間違うので作り直したいと嘆いていらっしゃる方が多かった。もともとは学生アルバイトや知り合いのフリーエンジニアを頼ってつくったものである。予算を伺うと月に10万円くらいなら出せる、というところが大半だった。この条件で引き受ける開発会社は皆無で当社も参入を見送った。

予算200万円~500万円:ちょっとした管理システムを開発してもらいたい、という案件はそれなりにあった。発注元は自治体が圧倒的に多い。地元の小規模な開発会社として狙いたいが開発工数がさほどではなくても請負開発のリスクは大きい。実際にやってみた結果について後述する。

予算1000万円~:中大規模システムの仕事は数年に1回くらい出る。コンピューターメーカー系開発会社と地元の大手開発会社は自治体のどこかが予算をとるのを待ち構えて日々営業しており地元の零細が直接受注できる可能性はない。

 このように20年前、沖縄県内の開発市場は自治体が発注先の多くを占めていた。製造業がほとんど存在しないため、比較的開発規模が大きくなる生産管理システムに携わる機会がない。地元の大手顧客として電力、銀行、スーパーマーケットがあるが情報システム子会社もしくは情報システム部門をお持ちで、そこにもメーカー系開発会社が太いパイプを持っていた。

 そのため中小ソフト開発会社や県内在住のプログラマーの多くは県外の仕事を受注して生計を立てていた。多くは他県の開発に下請けで入る形である。

 そういう沖縄で私は少人数かつ研究開発志向の会社としてジャスミンソフトを創業した。沖縄県の第三セクターでJavaやXMLなど当時の最新技術を調査したり、国や県、研究機関向けのシステム開発をお手伝いしたりしてきたチームが母体になっている。

 創業した2001年当時、オープンソースソフトウエア(OSS)の Javaライブラリを使ってWebアプリケーションを開発できる会社や技術者はまだ珍しく、東京の会社などから声をかけてもらうことも多かった。調査研究への参画という形になるので比較的高単価で仕事をいただけた。

 とはいえ沖縄の市場を知っている多くの関係者は「ソフト開発会社は結局、頭数の勝負。少数精鋭型では早晩立ちいかなくなる」と親身に心配してくださった。私としても地元で顧客基盤を持ちたいと営業を始めたが非常に苦戦した。