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 小さい頃から、どういうわけか建築が好きだ。この正月休みに世界的な建築家、隈研吾さんの本を読みふけって過ごした。隈さんとは全くの同世代であり、小学校高学年のときに、丹下健三の国立代々木競技場の出現に衝撃を受けた経験を共有していることを知って、共感の思いが深まった。

 情報システムを生業(なりわい)にするようになって、建築をアナロジーとして度々使わせてもらっている。このコラムの1回目にも書いたが、例えば「明るい台所」の話がそれだ。

 「明るい台所」という要望だけでは図面を引けない。陽がさんさんと降り注ぐのか、タイルがキラキラしているのか、それとも家族と対話しながら料理ができるのがよいのか、建築家はクライアントと対話を繰り返して設計図を描いていく。システムも発注者との対話なしでは良いものはできない、といった具合だ。

 しかし両者には決定的な違いがある。建築は見えるが、システムは見えないことだ。建築は、柱が真っすぐか、床がフラットか、見れば分かる。多くの人が目でチェックできるために、建築にはテストという工程が、システムに比べればほとんどない。システムは「柱が真っすぐか、床がフラットか」を確かめるために、プログラム製造工程と同じくらい時間をかけてテストする必要がある。システムの難しさは、見えないことからくるのだ。

 実は「やはり見える建築はいいな。建築家になれればよかったな」とひそかに思ったりしていた。しかし隈さんの著作を読んで、建築家は「見える恐怖」と闘っているのだということを知り、やはりよく知らないまま隣の芝生に憧れるものではないと反省した。

 隈さんは「新しい建物は褒められない」と言う。それは、まさしく見えるがゆえの苦悩だ。隈さんは、高層ビルを併設した新たな歌舞伎座を設計した。日本文化の中心にあって、しかも偉大な先輩の建築家が造り、人々の目になじんでいる歌舞伎座を壊して造り直すのだから、大変なプレッシャーだったことだろう。今、5代目歌舞伎座は東銀座の街角に、爽やかだけれども、艶っぽい空間を提供している。