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 システム開発の失敗を巡る裁判事例を通じて、思うところを書きたい。2021年4月に2審判決が出た「野村ホールディングス-IBM裁判」、および2015年に最高裁判所が上告を棄却したことで、2013年の2審判決が確定した「スルガ銀行-IBM裁判」についてである。

 いずれも、ITベンダーを訴えるに至る前にユーザー(発注)企業内でやるべきことがあったのではないかと私は思う。そもそも、どのような契約形態でこれらのプロジェクトが実施されたのだろうかという疑問も生じる。

マインドづくり、態勢づくりを置き忘れて訴訟沙汰に

 この2つの裁判事例は酷似している。いずれのプロジェクトも「まずパッケージありき」のような形で、パッケージソフトウエアをベースに開発が進められた。野村-IBM裁判では、パッケージソフトの要件に満足できないユーザーが延々と五月雨式に要件変更を要求し続けた点が争点となった。2審判決ではユーザーの「協力義務違反」であるとされ、1審のベンダーの「プロジェクトマネジメント義務違反」が覆る結果となった(野村側は上告)。

 一方、スルガ銀行-IBM裁判では、想定したパッケージソフトでは求めるシステムがつくれないことを明確に説明しなかったベンダーの姿勢が問題視された。2審においてベンダーの責任範囲は、開発局面に限定され賠償額が大幅に減額されたものの、ベンダーのプロジェクトマネジメント義務違反が確定した。

 2つの事例でユーザーとベンダーの勝ち負けは逆となったが、司法の判断は比重の置き方のわずかな違いでしかない。最終的に開発局面でのベンダーのプロジェクトマネジメント義務違反を認めたスルガ銀行-IBM裁判においても、2審の判決文で次のようにユーザーの責任も明確に指摘している。

 「ベンダーは、システム開発技術等に精通しているとしても、システム開発の対象となるユーザーの業務内容等に必ずしも精通しているものではない。(中略)その意味では、(中略)ベンダーにシステム開発技術等に関する説明責任が存在するとともに、ユーザーにもシステム開発の対象とされる業務の分析とベンダーの説明を踏まえ、システム開発について自らリスク分析することが求められるものというべきである」

 報道記事や判決文を読む限り、ユーザー2社はシステム開発に向き合う態勢がどうあるべきかについて、社内で健全な議論を行っていなかったのではないかという印象を受ける。

 野村-IBM裁判の関連報道によると、ユーザーの特定部門の特定の人物が執拗に要件変更を繰り返したという。システム開発のあるべき態勢について、コンセンサスが会社全体で確立できていなかったことを示唆しているように思う。

 スルガ銀行-IBM裁判のほうは1審と2審の判決文をじっくりと読み込んだ。こちらは私がいつも指摘している通りで、「失敗するプロジェクトはユーザーとベンダーの間の雰囲気がどんどん険悪になっていく」典型であった。