ちょうど1年前、筆者(田口紀成)はクルマを購入した。トヨタ自動車の「カローラツーリング」だ。購入前に試乗して驚いたのは、価格に対するその品質の高さ。一昔前のそれとは明らかに異なる乗り心地の良さは、自動車にそれほど詳しくない筆者でもはっきり感じられるレベルだった。かくいう私たちは自動車にしてもスマートフォンにしても製品に一定以上の品質を期待し、メーカーはその期待に当たり前ように応えている。それが「安心」というユーザーエクスペリエンスを支えている。
今回お伝えするのは、ものづくりにおいてその「当たり前」を支えている技術の1つ、「治具」だ。治具は、高品質の製品の生産を安定して維持するための裏方的存在といえる。そんな治具を主力商品として日本の製造業を下支えしている企業が今回紹介するナベヤ(岐阜市)である。
創業は戦国時代、今も続く梵鐘の鋳込み
ナベヤとはどんな会社なのか。筆者は治具を主力商品とする、と形容したが、それは同社が提供する価値の1つにすぎない。同社は鋳造技術を武器として長い歴史を持つ会社で、治具はその応用の1つである。驚くことに創業は戦国時代。2020年に460周年を迎えているのだ。有名な「桶狭間(おけはざま)の戦い」で織田信長が今川義元を破った1560年(永禄3年)が創業年なのだ。
同社には、創業以来461年間、製造し続けている商品がある。「梵鐘(ぼんしょう)」である。しかし、それだけでは460年もの間、企業を維持・成長させることはできない。社長の岡本知彦氏は、市場ニーズに対応して、技術力で競争を乗り切ってきたからこそ生き残れたと教えてくれた。
ナベヤは経営理念として「価値創造」「堅実経営」「時流適用」の3つを掲げている*1。市場ニーズに応えること、技術力で競争を乗り切ることはこの経営理念に根ざしていると言えそうだ。いかにして460年もの長い間生き残ってきたのか。同社が現在主力とする治具に焦点を当て、製品や生産技術の特徴を見てみよう。
品質と生産性を高めるための道具「治具」
まず治具について説明しておこう。私たちが手にする製品の多くは、「量産品」である。量産品は文字通りたくさん生産されるだけではなく、安定した品質が期待されている。そのためには、その加工や組み立て、検査のオペレーションが高い精度で繰り返されなければならない。かつ製造コストを抑えるために、そのオペレーションは迅速でなくてはならない。加工や組み立ての際に部品の位置決めや固定といった作業を精度良く、安全、迅速に行うために使われるのが治具である。いわば品質と生産性を高めるための道具だ。
治具には固定する対象物や用途の違いによって様々な種類がある。例えば同じワークの位置決め・固定用の治具でも、使う工程によって、固定治具、切断治具、検査治具などと分類できる。塗装やメッキを高品質かつ安定して処理するための塗装治具、メッキ治具と呼ぶ治具もある*2。
治具を使わずに、高い精度で部品の位置決めや固定を繰り返す作業を想像してみてほしい。例えば、定規を当てて決められた寸法位置に鉛筆で印を付けていく作業。数十回、集中力のある人なら数百回でも同じ位置に印を入れられるかもしれない。しかし、特にスキルがなければ、作業を繰り返しているうちに少しずれたり、印を付け忘れたりといったミスが起きかねない。そういう可能性のある製造ラインでは、高品質な製品を安定的に生産し続けるのは難しい。
先述の通り、治具の役割はワーク(加工や処置の対象物)の位置決め・固定作業を精度良く、安全かつ迅速に行うことにある。求められた役割を果たすため、治具そのものの生産においても、同じ品質のものを安定して造ることが求められる。高精度加工のための治具なら、そのワークの加工精度以上の精度が治具の作製にも求められる。
「日本製」に期待される品質といえば高品質、高精度。それ故、日本でトップシェアを誇るナベヤの治具にも「日本製」に期待される品質を守るための精度が求められる。ミクロンオーダーの寸法精度、鏡面レベルの表面品質といった高いレベルの治具を繰り返し造っても、常に同じ精度で仕上げなくてはならない。
技術+技能の「テクノクラフト」が根底に
どのようにして治具という製品の品質を維持しているのか。社長の岡本氏は「“テクノクラフト”という考え方が基本にある」と教えてくれた。テクノクラフトとは、「テクノロジー」(技術)と「クラフト」(技能)を組み合わせたナベヤの造語。つまり「技術」と「技能」を尊重するというポリシーが基本にある。
具体的な活動の柱は「技能向上(専門性・多能工化)」「改善活動」「デジタル改革」の3本である。テクノ(技術)面から見てみよう。岡本社長によると、かつての同社は職人気質で製品の品質は非常に高いものの、生産性は現在ほど高くなかったという。そこで「生産革新活動」を旗印に現場改善活動を積極的に展開し、一方で、3D-CAD/CAMを逐次導入。2年前には生産管理システムも刷新した。
「今では様々なデジタルツールが現場に入り込み、ネック工程の見える化によって現場改善が進むようになった」(専務の酒井正一氏)。現場の感覚頼みではなく、デジタルツールによって得たデータを基にした現場改善が進められているのだ。もともと鋳造工程では小集団活動により現場改善活動を行いつつ、溶湯の湯流れを3Dで流動解析するといったデジタル技術導入が進んでいたため、他工程の改善と一体になったデジタルツール導入もスムーズに進んだという。
クラフト(技能)はどうか。技能は“人”の職人的な技術力向上(専門性・多能工化)に焦点を当てたポリシーだ。技能検定の試験を受けて、より上位の等級の獲得を推奨している。それもただ推奨するだけでなく、手当という形で社内評価をしっかり反映させている。
個人情報保護の観点から写真をお目にかけられないのが残念だが、工場入り口から少し進んだところには技能検定の合格者の一覧がずらりと張り出されており圧巻だった。現場の技能者ほぼ全員が、何らかの技能検定を2つほど取得しているのだという。