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 10年ほど前、テレビ番組に出演した。ネットサービスを扱う内容だった。終了後、請求書に電子印を押してPDFファイルで送付したら、「これはダメなんです」と言われた。「紙の請求書じゃないと処理できません」

 私はそこで「経理の方に、そのような法律はないと伝えてください」と返した。しかし、「内部のルールなんです」とのこと。番組の内容との差が印象的だった。そこで電子印を押した請求書をそのまま印刷して送ったら処理してくれた。不思議な経験だったが、その後、同じようなことが何度も続いた。

(出所:tiquitaca/PIXTA)
(出所:tiquitaca/PIXTA)

 多くの企業と付き合っていると、企業規模でだいぶ「脱ハンコ」の勢いが違うと分かる。中小企業は下請けの場合が多く、どうしても元請け業者の方針や書類の形式に左右されるからだ。いまだにファクスで注文している企業もあるくらいだ。

 企業は取引先を常に探している。見つかれば、NDA(機密保持契約)を結ぶ。製本して押印しなければならない。「電子上の押印でよいですか。あるいは、このメールへの返信で『承認しました』と書いたらよいですか」と尋ねても、認めてくれた例はほとんどない。

 次に、取引前に企業の基本情報を記したものを押印し、間違いがないと証明しなければならない。この書類は反社会的勢力との付き合いを調べる目的を兼ねており、代表者などの氏名や生年月日が間違いないと宣言させる。加えて、見積書用の印鑑と請求書用の印鑑を登録する。

 いよいよ見積書の提出になるが、冒頭に述べた通り、ここで押印した書類を要求されることがまだ多い。契約書にももちろん押印する。話はそれるが、電子上であれば印紙代を節約できるはずだが、提案しても、「まだ検討の段階に入っていません」と言われる。

 物を送付するときは、品質報告書や検査票に押印することを求められる。受領伝票にも押印。領収書にも押印だ。払い出し伝票も、もちろん押印だ。

 さらに、支払いは銀行員と手形や小切手のやりとりをする。社内の経費精算も、領収書を紙に貼り付けて押印し承認する。

 かつて、自動押印ロボットが話題になったとき、誰もが冗談だと思った。しかし、あれは現実を直視する限りマジだったわけだ。

IoT化が生産現場の脱ハンコを加速

 生産現場でも印鑑は幅を利かせている。それこそ清掃の実施証明から、生産進捗、初品(初期流動品)管理、品質確認まで用途は様々だ。ただし、私の肌感覚では、事務処理に比べるとまだ生産現場の方が脱ハンコの取り組みは進んでいる。

 清掃はともかく、生産進捗はディスプレーで確認できるようになったし、品質データの確認も試験の生データを使うようになった。脱ハンコが進んだ理由の1つとして、IoT(Internet of Things)化が挙げられる。生産現場では対内的に記録を残す機会が多いから、データがそのまま見える化されているし、誰が作成・承認したかが分かれば事は済む。

 そして、私はもう1つの理由を挙げたい。この変化は、現場の検査偽装がきっかけだと思っている。試験をする。その数値を手書きで転記する(あるいはデータを改ざんする)。それを上長が押印で承認する。その改ざんデータが社会問題になったことで、企業は測定データを自動で記録するようになった。データを変更した際は、誰がいつどのように変更したのかを記録する。さらに、そのデータを保管し、電子署名で保証する。

 言い換えれば、現場を信じるのではなく、システムを使ってガバナンスを実現する方向性になってきた。仕組みとして検査偽装ができないので、製品不良率がどうしても高いと分かったら、根本的な変化が必要となる。