行政に振り回される宿命のサプライチェーン
「大変だが、言われた通りにするより仕方がないだろう」。筆者が企業のサプライチェーン部門で働き始めた頃、欧州のRoHS指令*が話題になっていた。まだ施行前だったが、対応の準備のため実務では大慌てだった。
当指令は電気機器の中で使用してはならない特定有害物質を規定しており、筆者らは鉛などの使用について、取引先の取引先も含めて何重もの調査を繰り返したと記憶している。その後、RoHS指令はさらに改正された。
米国ではドッド・フランク法にて、紛争鉱物の使用制限が始まった*。これはコンゴ民主共和国など、ある地域で購入する特定鉱物の代金がテロ資金に流れる懸念に対応し、そのような事態を防ぐための規制だった。RoHS指令のときと同じくサプライチェーンの上流に遡っては、該当国からの調達がないか調査を重ねた。
欧米からは、その後も二酸化炭素(CO2)の排出規制やら、人権蹂躙(じゅうりん)が疑われる地域との取引の制限など、さまざまなルールが降ってきた。一方で、日本から世界に強い制限をかけた例をほとんど知らない。
若い頃の筆者は欧米から課されるルールに理不尽さを感じていた。しかし先進国の欧米に巨大な需要がある以上は「言われた通り追随するしかないだろう」と、周りからたしなめられたものだ。サプライチェーンとは環境対応業である。各国の行政においてどのようなルールが出現したとしても、それを前提に、その中での最善策を模索するしかない。企業として生き残るのであれば。
そしてまた、サプライチェーンを揺るがす、少なくとも変化が避けられない、大きな動きがあった。
米国インフレ削減法の成立
2022年8月、米国でインフレ削減法が成立した。電気自動車(EV)を購入する際に最大で7500米ドル(1ドル=140円として約100万円)の税額控除を受けられる。控除額の高さはこれまで同様に驚きであり、主要な自動車メーカーが参加する協会は「EV購入時の初期費用を削減する」と評価しているが、一方で懸念を表明した*。同協会いわく、懸念しているのは、米国に上市されているEVはプラグインハイブリッドを含めて72モデルが存在するものの、条件の厳しさによって約7割が控除対象から除外されるためだ。
* Alliance for Automotive InnovationのWebサイト消費者は控除を受けるために特定の条件を満たす車種を購入しなければならない。条件は大きく2つあり、1つが車両の最終組み立て場所が米国であること。もう1つがEVバッテリーに使用される材料などが中国やロシアなど(懸念される外国)で加工・リサイクルされていないことだ。
各社が懸念しているのは後者の条件であり、ハードルが高い。前述の協会は地政学的な現状を考慮して、現実的な目標値を設定すべきだとしている。
バッテリーに使う重要鉱物は、米国か、少なくとも米国が自由貿易協定を結んでいる国から調達しなければならない。控除の条件として、これらの国からの重要鉱物の調達価格が販売価格に占める比率の下限が次の通りに定められている。
- 販売時期2023年中:40%
- 販売時期2025年中:60%
- 販売時期2027年以降:80%
また、バッテリー用の部品は、米国で製造するか、組み立てねばならない。同じく、その販売価格に占める調達価格の比率の下限は次の通りだ。
- 販売時期2023年中:50%
- 販売時期2025年中:60%
- 販売時期2027年以降:80%
いずれも、高い水準の比率が要求されている。
* 日本貿易振興機構(ジェトロ)「ビジネス短信」資料ジョー・バイデン米大統領は米国の労働者と製造業者のために数十億米ドルを費やすと述べたものの、現場で実際に生産を増やすのは一筋縄ではいかない。レアメタルは31種類(うちレアアースは17種類)あるが、その多くを中国に依存している。米国政府もレアアースの発掘のために3500万米ドルの投資を発表しているものの、まだ道半ばだ*。
* 日本経済新聞電子版2022年2月22日付 “米、レアアース部材「一貫生産」へ 対中依存脱却狙う”特に注目されるのがグラファイト(黒鉛)だ。グラファイトはリチウムイオン2次電池に欠かせない。EVは世界的に急増しつつあるのに、グラファイト鉱山は世界に数えるほどしかなく、供給はほとんど増やせていない。さらに約80%は中国からの供給であり、米国のシェアはわずかしかない*。中国は鉱物の供給国であるだけではなくバッテリーに使用できるよう加工する主要国でもある。
米Tesla(テスラ)などは中国依存を軽減するべくオーストラリアや東アフリカのモザンビークからの分散調達に努めている。またカナダでもグラファイト発掘量を増やせないか試行錯誤を進めている最中だ。
* U.S. Geological Survey "Mineral Commodity Summaries, January 2022"