全3328文字
PR

 新型コロナ禍は多くのことを我々に教えてくれた。その結果、テレワークが推進され、多くの人が自宅で業務を行うようになった。

 以前から問題視されていた「行き過ぎた東京への一極集中」だが、それが裏目に出てしまい、結果的に東京に集中するデメリットを露呈させた。恐らく、今後賢い企業は、事業所の分散化やテレワーク化を進めるだろう。

 一方で、それは実は簡単ではない。まず思いつくのが、マネジメントの問題だ。これまでとは違い、仕事を行う様子を直接見ることが難しくなったわけである。そうなると、業務が順調に進んでいるのかや、効率的に業務を行えているのかなどを、目で見る以外の方法で測る必要が出てきた(中には、カメラによって自宅で仕事をしている様子を常に監視できるようにしている企業もあるようだが、さすがに考え方が古いというか、仕事をしている姿だけを見て安心することで実利を見ていないように思えてばかばかしい)。

 姿でアピールできないとなると、今日はこれをやった、これができたということを証明しなければならない。その結果、実は普段から何をやっているのかが見えず、報告書を読んでも大したことは書いておらず、実際には何も役に立っていないという人が存在したことが露呈された企業も多いという声も上がっている。

[画像のクリックで拡大表示]

間違った人事評価を改めよ

 そもそも、これまで企業は何をもって人の「成果」を評価してきたのであろうか。

 自分の経験も含めて考えてみると、「何となく」評価を行っているとしか思えない。それが結果的に「頑張っている」という非定量的な評価につながり、それがやがて不公平感につながる。優秀な人材の成果を正しく評価している(と思われる)外資系企業への転職を決め、辞めていくという悲劇につながっている。後に残るのは、成果を上げていなくても、意味もなく残業を行い、仕事を行っているフリをしている人である。つまり、非定量的な評価によって高給を受け、本当は役に立っていない人材だ。

 そうしたことが実際に起こっているとすれば、企業にとってその間違った人事評価が与えている損害は計り知れない。経営者は、この機にその辺をよく見直し、考えるべきである。

 多くの企業が人事評価のあり方には悩んできた。多くの企業では2000年ごろから人事評価に一定の指標を設けることとなった。例えば、上司と部下で1年の目標を設定し、5段階で評価するといったものである。

 しかしながら、このような評価方法には個人の主観が大きく影響しており、結果的には印象による評価が残ってしまった。また、企業としては認めなくとも実際には年功序列の意識が企業内に残っており、不公平な評価へとつながっている。

 私が思うに、日本の企業と外資系企業で最も違う価値観は、役職というものに関する考え方だ。日本企業において役職はその人の評価や地位とほぼ同義で考えられる。つまり、課長より部長の方が偉い。部長より事業部長の方が偉い。一方で外資系企業では、役職は役割を示すものにすぎない。もちろん、管理する人と管理される人の関係はあるが、それがそのまま評価や報酬に結びつくことはない。

 日本企業が持つ人事制度で最も不可解なのは、ピラミッド構造の人事制度において、役職ごとに定員が決まっていることにある。どれほど優秀でも、若い人材は上の席が空かない限りは重要なポジションに就くことができない。一方で、優秀ではない管理職ほど転職はしないし、退職もしないので、一向に席が空くことはない。結果的に、マネジャー代理や事業部長代理といった「空席待ち」としか思えない珍妙な役職が存在する。