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 アフターコロナの世界においては、人との接触は最低限にするという前提で何事も考えなければならない。そこで、真っ先に問題となるのが「人の管理」だ。自宅やサテライトオフィスで仕事をするとなると、目の届かないところで業務を行うことになる。すると、作業が進んでいるかどうか、効率良く作業できているかどうかを目で確認しづらくなる。

 よって、今後成果を測るには、頑張っているとか椅子に座っているとかいう見た目ではなく、「どれだけできたか」というデータに基づく定量的な指標で評価するように変化していくであろう。

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主観に基づく精神的な評価から、データに基づく論理的評価への転換

 そもそも日本は、世界でも働く時間は長いが生産性が非常に悪い国である

† 「日本、生産性競争で劣勢続く 先進国平均の83%に低下」(日本経済新聞)
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO57082100S0A320C2NN1000

 工場内に「今日も1日頑張ろう!」という紙を張っても、短期的に士気を向上させる効果はあるかもしれないが、継続して生産を上げる効率はない。その主な原因として、日本企業が主観的である上に、精神論的な目線での評価にあまりにも偏りすぎていたことにあると思う。

 分かりやすくいうと、生産性が悪くても見た感じが頑張っていれば「良い」、生産性が良くても休憩時間外に休憩していれば「悪い」と評価する会社があるということだ。中には、朝から晩まで手作業で行ってきた作業をプログラムで自動処理できるようにして、空いた時間にゆっくりしていると、プログラムによる自動処理のほうがはるかに成果が上がっているにもかかわらず、処罰されたという笑えない話もある。

 よって、その「精神的評価」から「論理的評価」に変わることは、コロナ禍に関係なく日本企業の生産性向上改善に良いことだと私は思っている。

 ただし、1点注意が必要だ。行き過ぎた成果主義はよくない。手段を選ばず、目標さえ達成できればよいという数字至上主義になってしまうと、人間は精神的に追い込まれる。その結果、従業員は不幸を背負いながら働くことになり、有能な人材が会社を辞める。また、問題隠しやデータ改ざんなど倫理的に間違ったことをしてしまうなどの問題も発生する。

 心理的なケアは私の専門外なのでここでは多くを語らないが、データで生産性や成果を管理するのは良いことだが、それと同時に人間への精神的ケアを注意深く行わなければならないと思っている。結果以外の部分のチャレンジ性や積極性、将来性についても評価できるように人事の在り方を変えなければならない。

 全体的なバランスが大事ということは、重ねて言っておきたい。

そもそも成果とは何なのか再定義する

 データ分析を行う際に最も重要なのは、目的変数を何とするかだ。目的変数とは、良しあしを決める指標のことだ。この指標はゴールのようなもの。ゴールを間違うというのは、山登りで目的とは別の山の山頂を目指しているのと同じである。頑張って間違った指標の数字を上げても結果的に生産性は向上しない。これでは時間や費用を無駄にすることになる。

 ソフトウエア開発では長い間、「成果=ソースコードの行数」とされてきた。見積もりは、おおよその必要なコード量によって開発時間を算出し、進捗率は書き終えたコードの行数で計算した。しかしながら、その方法では実際の成果を反映しているとは言い難い。

 プログラムのコードを多く書いても動かないものは動かない。逆に優秀なエンジニアほどコードはシンプルに簡潔に書くためコード量は少なくなる。こうした矛盾があり、今ではコード量=成果という考え方は古くなっている。

 最近では、ソフトウエア開発においてDevOps(デブオプス)という考え方が広がっている。DevOpsでは、成果を「実現した顧客の要求数」によって計測している。

 短時間で多くの顧客の要求に応えるということは、顧客の満足度につながり、最終的に売り上げ向上につながるという考え方だ。