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 新型コロナウイルス感染症の拡大対策の中で、感染者数の推移推定などに数理シミュレーションが用いられた。指数関数的に増加する恐ろしさとともに、数学思考の重要性が再認識された。“次の一手”を見据えるのに必要な数学思考の重要性を、サイエンス作家の竹内薫氏が語った。(インタビューは2020年4月20日にオンラインで実施した。聞き手は東 将大=日経クロステック/日経エレクトロニクス)

竹内薫(たけうち・かおる)氏
竹内薫(たけうち・かおる)氏
1992年にマギル大学大学院博士課程を修了後、サイエンス作家として活動。2006年には「99.9%は仮説~思い込みで判断しないための考え方」が40万部を越えるベストセラーとなる。物理、数学、宇宙、AIなど幅広い科学ジャンルで発信を続ける。(写真:本人提供、以下同)
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感染症対策では、数理シミュレーションが欠かせないと伺いましたが、どのような内容なのでしょうか。

 感染症対策における数理シミュレーションでは、1人の人間が何人を感染させるかというのを、例えば1人当たり2.4人とか4人とか、いくつかのパターンを想定して、感染者数の拡大をシミュレーションします。

 そして指数関数的に感染者数が増大してしまうという結果が出た。そもそも、この結果は今さら数理シミュレーションをやる必要はなくて、感染症対策における数学として、以前からもう確立されている話なのです。感染症の感染者数というのは、初期は指数関数的に増大する。そして隔離など色々な対策をとれば、徐々にピークアウトしていって、ロジスティック関数になります。それをさらに続けていくと、一旦下がったりまた増えたりと山がいくつかできて、収束に向かっていきます。

 ここで重要になるのは、「指数関数」という数学を、対策チームがちゃんと理解しているかどうかです。指数関数は、2人が4人になり、4人が8人になり、8人が16、32、64……と急速に拡大していく性質を持ちます。これは高校までに教わる数学です。指数関数的に増加するということは2週間もたてば100倍以上に膨れ上がります。つまり、感染者数の拡大を防ぐには、この性質を知った上で、いかに早く対策を実行できるか、にかかっていたわけです。

 厚生労働省のクラスター対策班が、最初にクラスターをつぶすという対策を採ったのは、これは当然正しいのです。もちろん隠れクラスターがあるので全てをつぶすのは困難ですが、もしクラスターが全部つぶせていれば、感染者数はゼロになったわけです。中国からの第1波は、抑え込みに成功したと思います。

 ところが、収束する前にヨーロッパからの第2波が来て、これが現在の流行元だと言われていますけど、感染が広がってしまった。一度感染が拡大したら、もう目に見えるクラスターをつぶしても効果が薄いので、接触を減らす外出制限しか選択肢がなくなります。

 どうせ外出制限を実施するなら感染者数が100分の1のときにやったほうが、圧倒的に効果があるのです。2週間遅れて、感染者数が100倍になってからやると、より長期間の外出制限が必要になります。経済活動へのダメージを減らすという面でも、早くやれば短い期間で収束が望めます。

つまり、緊急事態宣言や都市封鎖などの対策を早めに実行すべきだったということでしょうか。

 そうですね。例えば、クラスター対策班に参加されている北海道大学の西浦博教授は、2月末の時点で感染拡大の警告を発信されていました。数理シミュレーションに基づいて、西浦先生には未来がどうなるかが分かってたのだと思います。2月末や3月半ばの時点で緊急事態宣言が出ていたら、今ごろ既に収束していたかもしれません。

 でも、日本政府は動かなかった。きっと政府内で意見が割れて、調整にも時間がかかったのでしょう。まだ中国だけ、欧米に飛び火していても、なんとなく日本は平気なんじゃないかという「正常性バイアス」があったと感じます。数学が分かる人や海外で感染拡大した地域在住の人、医療従事者以外には、あまり恐ろしさが伝わっていなかったのだと思います。

 もちろん国民全員にまで求めるのは無理でしょうが、しかし、政府の指導者たちは正常性バイアスで動いてはいけないのです。それを乗り越えるために危機感を持つ必要があるわけで、どう対策するかの決断が大事なのです。その決断が1週間遅れると、感染者数の数がそれこそ10倍に跳ね上がるわけです。

 日本は、それでも判断は早かったほうだと思います。例えばアメリカとヨーロッパは、当初はアジアだけの問題でうちらは関係ないと思い込み、気付いたら感染が広がって爆発的に増えてしまった。対策実行の判断がほんのちょっと遅れただけで、だいぶ大きな感染者数の差が出ました。例えば、カリフォルニア州とニューヨーク州。非常事態宣言を出したのは、ほんの数日しか変わりません。実際、あと何日か前にニューヨークが非常事態宣言を出していたら、ここまで拡大していなかったでしょう。

 この遅れは、やはり政治家の決断が2週間遅れたのだと思います。その理由は、政治家が数学を知らなかったからではないでしょうか。