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レジリエンスを高めるもう1つの議論のテーマとして「命の重さ」を挙げていました。具体的にはどのようなことでしょうか。

 新型コロナの感染予防では、「国民全体の健康を守る」という社会主義的な考え方が優位に立ちました。その考え方の延長線上には「全体を守るために助ける命の優先順位をどうするか」というテーマがあるのです。

 今回、中国はいち早く国民一人ひとりの体調や行動を調査してトラッキングし、人々の行動を強制的に制限しました。逆に欧米では感染初期に国民が自由に外出しており感染が急拡大。その後、強制的に外出制限を実施しました。

 もちろん様々な意見はあると思いますが、感染症拡大を防ぐという観点においては、強制的に行動監視や制限ができるほうが、国民全体の健康維持にとって有用だという論調が強まっていくのではと感じています

 国民全体の健康を考えるとき、その先に行き着くのは「個人の命の重みをどのように判断していくか」ということです。非常に極端な例を挙げると「80歳の患者と20歳の患者のどちらを優先して助けますか」という命題です。

 自由主義の社会は今までこの命題に対して解答が出せませんでした。自由主義的にいえば、どちらも自由人であり、どちらも同じように幸福追求権があるからです。ただ先ほどの、社会や国民全体の健康を守るという社会主義的な話の延長には必ず、全体にとっての最適化という議論があります。その議論が個人まで落ちてきたとき、命の重みをどう考えるのか。新型コロナは、我々がこれまで目を背けて直視してこなかった命に対して、「この命題を議論せよ」と突きつけているように感じます。

 医療崩壊すれば、最悪の場合、日本でも命の選択が起こり得るでしょう。それに対して日本人はまだ心の準備ができていませんが、起こる可能性はあります。アフターコロナを考えるとき、議論の1つとして話題に上がってくるのではないかと思います。

命の選択についての議論は反発が多そうです。

 そうですね、そんな議論を進んでやりたいと思う人はいないでしょう。でも通常の医療を提供できない場合、こういった厳しい選択も含めて考えなければいけません。実際、今だって、消極的な命の選択はなされているのです。

 既に病院のベッドが埋まっていたら、後から来る人は受け入れられません。救急車で運ばれても何十カ所と断られてしまうケースがあります。受け入れないということは、医療現場は消極的な命の選択をしています。その基準が今は治療を受ける早い者順ということです。だけど本当に早い者順ということだけで決めていいのかという議論が今後出てくるでしょう。

 いざというときに動揺しないためには、シミュレーションをしてあらかじめ準備することが必要です。そのために我々は今から命の重さについても考える必要があるのです。