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 「人と人の接触を8割減らせば、1カ月で新規感染者を大きく抑制できる」──。

 政府は2020年4月7日に緊急事態宣言を発令して以来、新型コロナウイルスの感染爆発を抑え込む目標として、人と人との接触を8割減らすよう要請してきた。達成できたかを評価するのに使われてきたのが、主要駅や繁華街といった人が集まる地点での人口減少率だ。基となったのが、携帯電話事業者などが提供するビッグデータ、すなわち「人流データ」と呼ばれる統計データだ。

 ただこの評価には批判もある。「人出が増えたからと言って、ただちに濃厚接触が増えるわけではない」「目的が入れ替わっている」などだ。

 厚生労働省も人同士の接触が増えたのかそれとも減ったのかを把握できていない問題点を認識している。そこで2020年4月から、感染リスクを高める濃厚接触の発生頻度を数値モデル化するプロジェクトに着手した。

 狙いは、経済活動をゆるやかに再開させた後も、リアルタイムの人流データなどから感染拡大の予兆をいち早くつかむ体制を確立する点にある。精緻なモデル作りに成功すれば、経済を再開させながら感染拡大の予兆を捉えて第2波、第3波を防ぐ政策判断に生かせる。

 モデル作りは始まったばかりだが、独自に研究を進める外部の専門家を含めて研究者同士の議論も始まった。その研究によれば、特定の条件では人出を5~6割減らせば人同士の接触回数が8割以上減らせるなど、地点人口の減少率だけでは分からなかった推測が可能になりつつある。

1人当たりの接触頻度は大きく変わらない

 モデル作成を進める中心人物は、厚労省新型コロナウイルス対策本部のクラスター対策班に参加する北海道大学大学院医学研究院の西浦博教授だ。西浦教授は冒頭の「8割削減」を感染症の数理モデルで導いたその人でもある。新たに、地理情報解析に詳しい東北大学大学院環境科学研究科の中谷友樹教授や、ビッグデータ解析を手掛けるALBERT(アルベルト)なども参画した。

 西浦教授が接触削減の指標として定義したのが「接触頻度」である。日本全国やある地域で起こった「人と人の濃厚接触の総回数」を示し、「人口×1人当たりの接触回数」で算出する。

西浦教授らが2020年5月1日に示した接触頻度の変化率。年齢層別の掛け合わせの結果を主要地点の平均で示した
西浦教授らが2020年5月1日に示した接触頻度の変化率。年齢層別の掛け合わせの結果を主要地点の平均で示した
(出所:厚生労働省)
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 2020年5月1日の有識者会議後の会見では、この定義に基づいて計算した2020年4月の接触頻度の削減率を示した。人流データにはNTTドコモが提供する「モバイル空間統計」を利用した。

 モバイル空間統計は約7800万人というサンプル数の多さで他の人流データより優位にあるが、500メートルと比較的粗めのメッシュで人口を示すため、1人当たりの接触回数ならびに接触回数の増減を推計する用途には向いていない。ただここで「1人当たり接触回数はメッシュ内の人口密度によらず一定である」と仮定することで、測定地点ごとの接触頻度の増減率を計算した。

 この仮定は、「人口密度が高まるほど人が密になって接触頻度が増える」という常識的感覚から離れているように見える。しかし、モデル化で助言した東北大学の中谷教授は「接触回数の増減が人口密度に依存しないという仮定は、過去の研究成果に照らして一定の合理性がある」と説明する。感染症と都市人口に関する多くの調査や研究によると、1人当たりの濃厚接触回数は人口密度にあまり依存しない傾向があるという。

 その要因の1つとして、中谷教授は、人口密度が高い大都市でも密度が相対的に低い中小都市でも、人の生活様式が似ている点を挙げる。例えば「公共交通機関で移動する」「人が集まる店舗や職場で滞在する」といった生活様式だ。

複数の人流データと機械学習で、接触頻度を測定

 ただし人口密度への依存度はゼロでない。東京都のように大都市で感染者数が急増した例もある。西浦教授らは次の段階として、人口密度を加味して接触頻度の計算モデルをより精緻にしようと試みている。

 用いる手法が複数の人流データの掛け合わせだ。NTTドコモのモバイル空間統計以外に、ソフトバンク系のAgoop(アグープ)などが提供するGPS(全地球測位システム)を使った人流データが候補に挙がっている。ALBERTによれば、携帯電話事業者などとも詳細なモデル化に使えるデータがあるかについて協議しており、NTTドコモは既に検討を進めている。

 厚労省のクラスター対策班に先んじる形で、人口密度を加味した接触頻度を計算した研究発表も出てきた。国立情報学研究所の水野貴之准教授は、西浦教授らが接触頻度の計算結果を発表した7日後の5月8日、独自の接触頻度モデルを発表した。

 渋谷駅周辺で当てはめたところ、地点人口が55%減れば約80%の接触頻度が減らせるとの試算を得たという。つまり人口密度が高い地域では、8割まで削減する必要がない可能性が出てきたわけだ。