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 オフィスの変貌が始まった。企業が縮小や分散に向けて動き出すなか、トップランナーの建築家は何を考えているのか。隈研吾氏に質問をぶつけると、「僕自身の働き方が変わった」との言葉が返ってきた。本誌に語った隈氏が考える「さよならオフィス」とは。建築、都市、働き方はどう変わるのか。隈氏の事務所では、分散するオフィスをつなぐ新しい取り組みが既に動き出していた。(聞き手は島津 翔、坂本 曜平=日経クロステック)


5月にインタビューした際には、20世紀型の「箱型都市の終焉」を指摘されました。数カ月たって、都市や建築のニューノーマルをどう捉えていらっしゃいますか。

 一番初めに挙げたいのは、「オフィスという概念」の変化です。これまでオフィスと言えば実際の空間を指していて、それが会社の象徴でした。物理的な空間がオフィスだった。しかし今、僕の事務所では、所員が空間を共有していないという状態が既に当たり前になっている。新型コロナウイルスの大流行以降、日本中に社員が散らばってたからです。散らばった所員と所員のネットワークこそが“オフィス”あるいは“会社”になっている。これは多くの企業で起こっていることでしょう。

隈研吾 氏
隈研吾 氏
1954年生。1990年、隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。国内外で多数のプロジェクトが進行中。国立競技場の設計にも携わった。主な著書に『点・線・面』(岩波書店)、『ひとの住処』(新潮新書)、『負ける建築』(岩波書店)、『自然な建築』、『小さな建築』(岩波新書)、他多数(写真:日経クロステック)
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 僕の事務所では、全国各地に散らばる建築の現場に担当者が出張してチェックに行き、現地での仕事が終わったら東京に戻ってくるというのが一般的な仕事のスタイルでした。しかし、緊急事態宣言が出たことを受けて、僕は所員に対して「もう東京に戻ってこなくていい」と伝えました。その場所で自分の居場所を見つけて、そこで仕事をしていい、と推奨したんです。これによって、今は石垣、富山、北海道……と全国に所員が散らばっています。ネットワークでつながっていて、その「つながり」こそが会社なんですね。

 そうなると、「東京にまとまった空間を持つ必要があるのか」という疑念が湧いてくる。

 これは都市の歴史においては画期的なことです。オフィスは古代からあったものではありません。人間はずっと住宅で仕事をしていた。働く場所が拡張されて集まって働くようになったのは近代の欧州が初めて。その考え方が肥大して現代の都市になった。しかし、この「集まって働く」という概念が無効化されるとなると、当然ですが都市の在り方が変わる。それが、今、僕が考えている「都市のニューノーマル」ですね。

隈さんの事務所は、緊急事態宣言中は在宅勤務を推奨していました。現在は具体的にどのような働き方をされていますか。

 所員には、自分が最も働きやすい方法を探してほしいと伝えています。完全な在宅勤務でもいいし、地方の現場の近くに移り住んでも構わない。実際に移住した所員もいます。それぞれの建築現場で必要とされている仕事はそこまで長くないので、移住した先で別の仕事もさばいています。例えば、富山に住みながら中国の仕事をする所員、石垣にいながら東京の仕事をする所員……。いろんな働き方が交ざり合っていて、それによって事務所の空気が変わりましたね。

 自分の働き方を自分でデザインする。これが基本です。考えてみれば、デザイナーでありながら自分の働き方をデザインしてこなかったのは怠慢だったと言えるかもしれませんね。

自由な働き方を推奨する中で、オフィスに集まらないとできないこと、あるいはオンラインで完全に代替できること、それぞれは見えてきましたか。

 ほとんどの仕事は集まらなくてもできるということが分かってきました。

5月に建築家の内藤廣さんにインタビューした際にも同じことをおっしゃっていました。ただ、内藤さんは「スムーズに仕事できている一方で、大切なものを見落としているかもしれない」とも指摘されていました。

 それで言うと、「大切なもの」というのは、「みんなで建築をつくっている」というチームとしての感覚かもしれません。