2020年7月4日に球磨川周辺で生じた水害では、水防災対策事業によりかさ上げされた地盤の上に立つ住宅などが浸水した。水防災対策とは、連続堤防を築いて住宅などを守る代わりに、宅地をかさ上げしたり、住宅地の周りを輪中堤で囲って浸水を防いだりする治水対策の手法だ。建物の集積密度が高くない場所で使われる。
水防災対策を実施した場所で、地盤から5m程度の高さまで浸水した地区もあると報じられている。高い地盤の上に移築または新築した住宅が場所によっては2階の高さまで水没したわけだ。被災例の一部は、 床上浸水を防ぎ切れなかった地盤のかさ上げとピロティ建築 でも紹介している。
相野谷川の水防災対策箇所での被災
水防災対策事業を実施した場所の被災は球磨川が初めてではない。11年9月の紀伊半島豪雨では、三重県紀宝町を流れる熊野川支川の相野谷川(おのだにがわ)沿いで水防災対策の実施箇所が水没している。この豪雨の際には熊野川の基本高水のピーク流量(毎秒1万9000m3)を約3割上回る毎秒2万5000m3の流量が相賀基準点で観測され、これに伴うバックウオーターの影響で相野谷川でも大きな被害が発生した。
下の写真はその際の相野谷川高岡地区の被災状況だ。右側に立つ高さ4.9mの壁が輪中堤で、その左側に一体となった塊のように見える部分が堤防脇の管理用通路だ。輪中堤は集落を山側の部分を除いた三方から囲む形で設けていた。道路と交差する部分には陸閘(りっこう)があり、洪水時にはその門扉が閉ざされる。11年の豪雨の際にはこの輪中堤を乗り越えて内側がどっぷりと水に漬かった。
その後高岡地区では輪中堤の復旧が行われ、高さも1.2mかさ上げされた。下の写真は輪中堤を通過する道路に設けられた陸閘だ。11年の水害を受けて、コンクリートの上側の白っぽく見える部分を継ぎ足した。
筆者は20年7月末に現地を訪れた。11年の洪水から9年近くの年月がたっているが、輪中堤の上から堤内側を眺めると時が止まったように感じる。輪中堤付近のある住宅は2階の壁の一部が剥がれていた。2階の窓に被災の跡が残ったままの住宅も見られた。
高岡地区には05年の国勢調査ベースで30世帯41人が住んでいたとのことだが、20年7月に訪れた際に地元で聞いた話によれば、現在人が住んでいる建物は2、3軒だ。