「令和2年7月豪雨」では死者・行方不明者が80人以上を記録した。2019年の東日本台風では107人、18年の西日本豪雨では245人だ。従来、豪雨災害の際の死因としては土砂災害の比重が大きかったが、最近は水死の割合が高くなっている。海外では、浸水被害による人命損失のリスク管理を河川計画に導入する取り組みが始まっている。繰り返す甚大な水害を前に、「日本も同様の取り組みの検討を進めるべきではないか」と、元国土交通省で現在水源地環境センターの安田吾郎氏は主張する。
海外では、許容可能リスク(Tolerable RiskまたはAcceptable Risk)という概念が、リスク分析の分野で使われ、ダムや堤防の設計にも応用され始めている。従来は、費用便益分析によりいかに大きな費用対効果を得るかといった概念や、環境影響を合理的な範囲でできるだけ抑制する考え方、そして地域間の公平性の確保などが治水計画の作成に際して求められてきた。これらに加えて人命損失のリスクを管理する考え方も用いられ始めているのだ。
この考え方を、治水計画に公式に取り入れたのがオランダだ。オランダでは、2017年発効の水法の改正により、気候変動影響も見込んだ上で、50年までに、年間当たりの水害による死亡確率を表す「地点別個人リスク」(Local Individual Risk)を居住地全体で10万分の1以下にすることを治水計画の目標の1つに設定した。
オランダでは、全土の主要堤防を234の区間に分け、堤防で囲まれた各地区で地点別個人リスクを求めている。例えば、ロッテルダムの西約20kmの場所にあるVoorne-Putten地区の例を見てみよう。
上段の図は、この地区を囲む堤防の年間当たりの決壊確率を示す。下段の図が地点別個人リスクだ。上段の図の堤防区間ごとに、決壊に伴って水が拡散するシミュレーションを実施し、決壊確率に「水位に応じた死亡確率」と「避難しない人の割合」を乗じて、各区間での決壊に対応した結果を合成して下段の図が出来上がる。
50年までに地点別個人リスクを居住地全体で10万分の1以下にするには、地点別個別リスクの図の中で赤色をオレンジ色または緑色にしていく必要がある。オランダでは、そのために必要な対策を「デルタ計画」として定め、この計画を毎年改訂しながら治水対策を進める仕組みとしている。
地点別個人リスクを計算する際には避難行動も考慮する。避難率としては次の図のものを用いているようだ。右下の深緑色の部分はマース川沿い。川沿いから離れればすぐ避難できることから高い避難率が設定されている。一方、高潮被害を受ける沿岸部では避難率が低く設定されている。
地点別個人リスクを10万分の1以下に抑えて、国全体で、水害による死者数をどの確率でどの程度に抑えるかについても目標を設定している。下の図はオランダ全体での15年時点と、予定通り治水施設が整備された場合における50年時点での評価値だ。この図は縦軸に生起確率、横軸に想定される死者数を取った両対数グラフだ。描かれる線はF-Nカーブと呼ばれる。Fは頻度(Frequency)、Nは数(Number)を表し、「社会にとってのリスク」(Societal Risk)を表す。
オランダでは、F-Nカーブは水害対応だけではなく、危険物を扱う工場などの立地の問題にも使われている。また、F-Nカーブを用いたリスク分析はオランダ以外の国でも導入され始めている。下は米国の連邦政府で治水事業を担当する陸軍工兵隊が用いているものだ。