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球磨川の水害による人命リスク

 球磨川では、ハザードマップで10mを超える浸水深が見込まれる場所が分布し、利根川左岸決壊の場合と同様に人命損失リスクが高い。今回の水害で、国土交通省九州地方整備局と熊本県による速報値によれば、最大9.4mの浸水深が記録された他、5mを超える浸水深の場所が広く分布している。

人吉市下流部から球磨村にかけての「令和2年7月豪雨」による浸水実績の速報値。洪水痕跡調査などにより浸水区域や浸水深を推定している(資料:第1回令和2年7月球磨川豪雨検証委員会説明資料、国土交通省九州地方整備局・熊本県、20年8月25日をベースに地名を追記するなど筆者が一部加工)
人吉市下流部から球磨村にかけての「令和2年7月豪雨」による浸水実績の速報値。洪水痕跡調査などにより浸水区域や浸水深を推定している(資料:第1回令和2年7月球磨川豪雨検証委員会説明資料、国土交通省九州地方整備局・熊本県、20年8月25日をベースに地名を追記するなど筆者が一部加工)
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 避難率を向上させる対策を講じて死者数を減らすことはある程度可能だ。しかし、避難しても浸水しない「空振り」が何回か続けば一般に避難率は低下する。そもそも避難が容易でない人もいる。今回、球磨川沿いの水害リスクが高いエリアでは水害への意識の高い人が多く、非常に早い水位上昇という悪条件の中では避難率は比較的高かったのではないかと想像される。

 しかし、それでも避難ばかりには頼れない。先に述べたオランダの計画では、最も避難率が高いと見込むエリアで76~90%の避難率としている。IT技術の活用を含めた様々な避難促進策を講じたとしても、計画で見込める避難率はその程度が上限ではないかと思う。

 「令和2年7月豪雨」で甚大な被害を受けた球磨川では、およそ10年に1度オーダーの確率で氾濫が生じるとみられることは 打ち砕かれた球磨川水防災対策、先進国に学ぶ気候変動下の氾濫原管理 で述べた通りだ。仮に死亡リスクが相当あると思われる100年に1度の洪水の際に、避難率が50%、避難しなかった人の死亡率が10%になると仮定すれば、地点別個人リスクは2000分の1となる。

 2011年9月の紀伊半島豪雨で、三重県紀宝町の相野谷川が氾濫した例でも同様のことがいえる。高倉地区の輪中堤を越水する確率が50年に1度だとして、避難率を90%、避難しなかった人の死亡率を25%と仮定すれば、地点別個人リスクはやはり2000分の1だ。

 どちらの場合も、オランダの目標値より50倍大きなリスクだ。この計算は、あくまで筆者の感覚で適当な数値を当てはめただけのものだが、治水対策が本来目指すものとして、被害軽減による経済効果と合わせて人命リスクの軽減は極めて重要だ。日本においても人命リスクの軽減を意識した施策は様々な形で行われてはいるものの、それを指標化して政策目標にするといったことまでは一般的には行われていない。今後研究が待たれる分野だ。

 相野谷川を含めた熊野川水系の治水対策については、11年の大災害により河川整備基本方針を含めた抜本的な見直しが必要になった。20年7月に熊野川懇談会が再開されている。今後、気候変動影響を考慮するとともに人命リスクにも十分配慮した計画が作られることが期待される。

 球磨川においても、「令和2年7月豪雨」の水害を踏まえた抜本的な対策を検討する際には、気候変動影響を考慮するとともに、人命リスクも勘案することが重要だろう。20年8月25日に九州地方整備局と熊本県の合同での「球磨川豪雨検証委員会」が行われ、死者数の分布に関する資料が提示された。

八代市~人吉市間の球磨川周辺の地区別の死者数(資料:第1回令和2年7月球磨川豪雨検証委員会説明資料、国土交通省九州地方整備局・熊本県、20年8月25日より)
八代市~人吉市間の球磨川周辺の地区別の死者数(資料:第1回令和2年7月球磨川豪雨検証委員会説明資料、国土交通省九州地方整備局・熊本県、20年8月25日より)
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 人命リスクが高い場所では、できるだけ多くの命を守るための対策を早期に講じていく必要がある。球磨川沿川の被害が大きかった地区では、これまでの居住地からの移転を求める声もある。一方で、人命リスクの高い場所が多く分布している現状で、そこに住む人全てに移転していただくくことは現実として困難であろう。

 「球磨川豪雨検証委員会」の資料によれば、暫定的な評価結果として、川辺川ダムがもしもあったならば、毎秒7500m3と推定されている人吉地点でのピーク流量がおおむね毎秒4700m3程度に減らせたとしている。およそ4割のピーク流量の低減だ。まだ暫定的な結果であるし、洪水のパターンは様々なので軽々に評価できないが、利根川で検討した例を見ると、2割程度の流量の差でも死者数には大きな違いが生じることが分かる。

利根川で「200年に1回」と「1000年に1回」の確率の洪水において死者数がどの程度変化するのか評価した結果。利根川の右岸が決壊した「首都圏広域氾濫」ケースに対応したもの。大規模な洪水になると、排水ポンプが機能を停止したり、ポンプへの燃料供給ができなくなったり、水門の開閉ができなくなったりするような場合があるので、それらの条件を変えたシミュレーションの結果を3つのケースで示している(資料:第9回大規模水害対策に関する専門調査会資料2「利根川の洪水氾濫時の被害想定(概要)~浸水継続時間・死者数・孤立者数」)
利根川で「200年に1回」と「1000年に1回」の確率の洪水において死者数がどの程度変化するのか評価した結果。利根川の右岸が決壊した「首都圏広域氾濫」ケースに対応したもの。大規模な洪水になると、排水ポンプが機能を停止したり、ポンプへの燃料供給ができなくなったり、水門の開閉ができなくなったりするような場合があるので、それらの条件を変えたシミュレーションの結果を3つのケースで示している(資料:第9回大規模水害対策に関する専門調査会資料2「利根川の洪水氾濫時の被害想定(概要)~浸水継続時間・死者数・孤立者数」)
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 上の図は、洪水の規模によって、想定される死者数がどれだけ増えるのかを利根川で評価したものだ。200年に1度の確率で起こる洪水の場合と1000年に1度の洪水の場合とを比較している。確率は5倍だが、洪水流量は約2割増だ。一方、死者数は1.8~2.7倍となる。もともと氾濫原にある家は、過去に経験した水位では大きな被害を受けないぎりぎりの場所に立っていることも多い。1000年に1度の確率といったまれな洪水になると、過去の経験則が成り立たずに大きな被害を受けることになるのだ。

 気候変動に対応して、温室効果ガスの抑制を相当徹底して行う2度上昇シナリオの場合でも、日本の多くの地域では降雨量で1割、洪水流量で2割程度増加すると見込まれていると 打ち砕かれた球磨川水防災対策、先進国に学ぶ気候変動下の氾濫原管理 で紹介した。利根川の場合だと、これまで1000年に1度の洪水と思っていたものが100年に1度起こるような感じだ。

 すなわち、多くの人命が失われるような水害のリスクは気候変動の進行とともに、急速に増大する場所が多いと思われる。まずは気候変動による影響も勘案した水害による人命リスクを評価した上で、人口動態なども視野に入れて効果的な対策を講じることが重要と考える。