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 「社会を作り変えたいなら、コードを書くのが一番だ」――。ソフトウエアが世の中を大きく変えている今、それを作り上げるコーダーの存在感は高まる一方だ。優秀なコーダーをひき付けられるかが、企業の競争優位性を大きく左右するまでになっている。本特集では5回にわたって、そんなコーダーたちの実像に迫る。

 コーディングの世界で、マックス・レブチンは、偉人のひとりに数えられている。

 レブチンは、猛烈な勢いでプログラミングを進め、ほぼ独力でペイパルを生み出したプログラマーである。出身はソビエト連邦ウクライナで、子どもだった80年代にコンピューターをいじる楽しみを覚えたという。ユダヤ人で迫害を受けていたため、1991年には、家族でウクライナからシカゴに逃亡。そんなわけで貧しかったが、息子には好きなことをさせてやりたいと、両親は、コンピューターを手に入れてくれた。

 レブチンはイリノイ大学情報科学科に進学し、そこで、マーク・アンドリーセンのことを知る。ネットスケープブラウザーの開発に携わって大成功し、数年前、ミリオネアとなった先輩である。

 レブチンは引っ込み思案だったが、スタートアップというものには強く心を惹かれた。そして、学生時代に会社を三つも創業。最後の会社が10万ドルで売れたので、持ち物をまとめると(大半は電子機器だった)、仲間数人とトラックでシリコンバレーに向かった。

あふれ出るコード

 シリコンバレーに着くと、友だちのところに転がりこんだ。そして、たまたま、スタンフォード大学で行われたピーター・ティールの講演を聞きに行った。政治的自由に関する講演だ。ティールは大学で哲学を学んだあとウォールストリートで働くなどした弁護士で、自由至上の熱烈な自由主義者だった。

 話がおもしろいと思ったレブチンはティールに会い、温めているソフトウエアのアイデアを売り込むことにした。当時はパームパイロットなどの携帯情報端末がもてはやされていたが、そこに搭載されている非力なチップでも使える暗号プログラムを書いていたのだ。

 ふたりは、それをもとに、パームパイロット同士あるいはそれこそオンラインで送金するソフトウエアを作ることにした。ペイパルである。

 学生時代、レブチンはコードの激泉と言われ、何日も休まずプログラミングをすることで知られていた。ペイパルの開発でも同じように仕事をしたし、暗号関連のエミュレーターをたくさん書いた経験もあったので、パームパイロット用ペイパルのプロトタイプはひとりで作り上げることができた。

 450万ドルの資金を調達することになったときには、PR用のデモンストレーションとして、投資家のお金、300万ドルをパームパイロットからパームパイロットへ、デジタル的に送金してしてもらうアイデアが浮上。

 送金したように見えるだけのモックアップを使うことも検討したが、『Founders at Work 33のスタートアップストーリー』によると、それはなんとしても避けたい、「万が一にもクラッシュしたら取り返しがつかない。切腹ものだ」とレブチンは考えたそうだ。

 彼は、部下ふたりとともに、5昼夜、ほぼぶっ続けでコーディングを進めた。そのときの様子は、『Founders at Work』に詳しい。レブチン本人は、まったく眠らなかったそうだ。