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 日本航空(JAL)と全日本空輸(ANA)はそれぞれ、搭乗客の目に触れることのない領域でも次々とデジタルトランスフォーメーション(DX)に取り組んでいる。具体的には客室乗務員の訓練や空港の手荷物搬送の業務だ。これらはもともと大勢のスタッフが集まることを前提としていたが、それを仮想現実(VR)やロボットといったデジタル技術を導入して抜本的に変えようとしているのだ。

客室乗務の訓練に「リアル」なVR

 「お客さま、間もなく離陸いたしますのでシートベルトをお締めください」――。客室乗務員が優しく、それでいて毅然とした声でベルト未着用の搭乗客に声をかける。航空便の出発時に毎回実施される、客室乗務員による機内の安全確認だ。しかし客室乗務員がいるのは機内ではなく東京都内のビルの一室。声をかけた相手は実際の搭乗客ではなく、VRゴーグルに映し出されたCGだ。

日本航空(JAL)が取り組む仮想現実(VR)を使った客室乗務員の訓練
日本航空(JAL)が取り組む仮想現実(VR)を使った客室乗務員の訓練
(撮影:日経クロステック)
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 JALは客室乗務員の訓練用にVRコンテンツを試作し、2020年10月に実証実験に取り組んだ。コンテンツは客室乗務員の訓練生向けを想定したもので、500席が満席となった状態のボーイング777型機の機内を仮想空間に再現している。1回の訓練で最大4人の訓練生が1つの仮想空間に入り、VRゴーグルのマイクとイヤホンを介して連携しながら実際の乗務時と同じように出発時の安全確認をする。

 搭乗客のシートベルトや座席のリクライニング、テーブルのほか、客席上部の荷物棚やギャレー(厨房)内の備品収納棚、トイレや出入り口のドアなどについて確認し、問題があれば搭乗客に声で呼びかけたり手持ちのコントローラーの操作で施錠したりする。客室乗務員の一連の動作は記録・採点され、終了時の結果画面で確認漏れのあった箇所が分かる。例えば荷物棚の施錠確認漏れがあるとスーツケースが落下して搭乗客を直撃するなどシリアスな描写もあり、漏れなく確認することの重要性を体得できる。

仮想現実(VR)訓練では客席上部の荷物棚の施錠チェック漏れがあると離陸後にスーツケースが飛び出る。実際の訓練では再現が難しいだけに、VRのほうが「リアル」だ
仮想現実(VR)訓練では客席上部の荷物棚の施錠チェック漏れがあると離陸後にスーツケースが飛び出る。実際の訓練では再現が難しいだけに、VRのほうが「リアル」だ
(撮影:日経クロステック)
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 JALが客室乗務員の訓練にVR導入を検討している狙いは、通常の演習に加えてVRによる訓練を採り入れることで訓練生の演習時間を増やし、理解を深めることにある。通常の訓練生向けカリキュラムでJALは、こうした安全確認などの演習時間を20時間強確保している。とはいえ演習は実機と同じサイズのモックアップがある訓練施設を使い、大人数のクラスごとに教官の立ち会い・指導のもと実施するため、個々の訓練生が演習に参加できる時間は4時間弱という。VRによる演習ならば、スケジュールや場所、人員などの制約がないため何度でも繰り返せる。

 さらにモックアップでの演習よりさらに「リアル」を追求できるVRならではの利点もある。例えば機内に搭乗客がびっしり座っている状況。実際の乗務時は、離陸前の限られた時間で搭乗客全員をくまなくチェックし、シートベルトを締めていなかったりリクライニングを倒していたりする数人を見つけ出すことを求められる。演習では満席をつくりにくいがVRならば容易に再現できる。前述したスーツケースの落下などの「確認漏れによる事故」を見せられるのもVRならではだ。

 JALは今回の実証結果も踏まえ、2021~2022年度にもVRを使った客室業務の訓練を本格導入したい考えだ。併せて機内火災対応など、他の演習でもVRによる訓練を導入できないかを検討する。

 既にVR活用が進んでいる領域もある。一例が脱出訓練で2020年8月からVRを導入している。JALは乗務職以外のグループ全社員にも脱出訓練を義務付けている。非番などに乗り合わせた機内で事故が発生しても、周りの搭乗客に対して声かけしたり脱出用シュート(滑り台)を使った脱出を支援したりできるようにするためだ。

 VR導入以前の脱出訓練は羽田空港近くの訓練施設で実施していた。地方や海外の勤務者は訓練のために羽田へ出張するなどして、毎月500人程度が受講していた。VR導入後は、10台のVRゴーグルを各地の主要空港などに順次貸し出し、2カ月間で約1800人が訓練を受講できた。折しも新型コロナ禍で出張が難しくなるなか、安全に結びつく訓練をVRによって維持・強化できた格好だ。